レシピ2・思い出のミソラーメン
マヨねぎは我々に新しい世界を見せてくれた、
しかし我々の心は満たされていなかった。
あふれんばかりのグルメに対する探究心は、
更なるレシピへの情熱を変わっていった。
足は自然、ダイエーへと向かった。
ミソだ、マヨネーズの次はミソしかない、
私は思った、アメリカの象徴たるマヨネーズから脱却し、
日本の心を取り戻すことこそ今の我々にとって必要なことなのだ。
酷く使命感を覚えた私は、副部屋長にミソを購入するよう嘆願した
(当時私の財布にはユニクロカードしか入っていなかったのだ)。
小一時間説得は続き、彼はようやく折れて、ミソを購入することを快く承諾した。
山のようなミソ、これだけ購入することは、
普通にアメリカにかぶれた生活をしてる人間にはありえないことだ。
我々は、日本の心を取り戻しつつあることを確信した、
そう、アイ・アム・ジャパニーズなのだ。
それは喜ばしいことであるはずなのに、
レジに向かう副部屋長の背中はなぜか泣いていた。
ワシには理解できなかった、昨日マヨネーズを買うとき
レジの人に厳しい目で見られたのが、
まだ心に影を落としているのだろうか…。
最近流行のptsdというやつなのだろう、
一応心理学を学んでいる私はそう診断した。
その考えは間違ってはいなかった、
彼はミソ購入後そそくさと大阪に帰ってしまった、傷心を抱えたまま。
ああ、グルメ道は私一人で行わなければいけなくなった……、
次のレシピからは、大量購入ネタは使えない……(買うとき恥ずかしいからだ)。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
思い出のミソラーメン・その実態
良い出来だ。
そこはかとなく、日本のワビ・サビが漂っている。
一瞬見ただけでは何か良く分からないところが実に良い。
そしてあらかじめ汚れることを予測して、
新聞を敷いていた自分に感心する。
なお、首をつっているように見える羊さんは、
飾りである、おしゃれ心というやつである。
ただ、食べるとき邪魔なのですぐにはずした。
なんとも堂々たる姿である、ミソというものが
これほど美しい形になるとは思わなかった。
あたかも躍動する大地を表現した芸術作品のようであり、
古き良き日本の文化を惜しんでいる姿のようにも見える。
cdと並べて大きさを比べてみても、
その圧倒的な存在感は薄らぐことを知らない。
これは…そう、日本の父親が失って久しい、
父性の尊厳を表現しているのだ。
ところでこれはミソラーメンではなかったのか、
と疑問に思われる方がいらっしゃられるかもしれない。
これはれっきとしたミソラーメンである、下の写真を見ていただきたい。
メンとミソ、まさしくミソラーメンである。
汁気が無い点だけが、一般のミソラーメンと異なっている特徴である。
思い出のミソラーメン・よみがえる記憶
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
思い出のミソラーメン・よみがえる記憶
私は食べ進めるうちに(食べてる最中の写真が無いのが残念だ。
副部屋長が大阪に帰ったので、一人で撮影しているのである)、
箸が硬いものにあたった。
なんだ? 私は首をかしげて、それを取り出してみた。
こ、これは…、先日なくしたつめ切りだ。
必要なときにかぎってなくなるものの代名詞が、
ミソラーメンの中から出てくるとは…、
私は大自然の神秘に胸を打たれた。
あとでミソを取り払って、つめを切ろう。
さらに食べていくと、また硬いものにあたった。
今度は何だ?
ああ…、これは…、一年前になくしたハートの9。
これが無くて大富豪で革命が起こせず、負けてしまったのだ。
そのときの悔しさがありありと思い出させる、
あとでミソを取り払って、トランプ占いをしよう。
どうやらこのミソラーメンは私の記憶とリンクしているようだ。
そう、これは思い出の品を何らかの理由から取り出せるようになった、
「思い出のミソラーメン」だったのだ!
再び食べ始めるとまた硬いものに…。
次は?
ああ…、これは…、3年前、好きなあの子にあげて告白しようとして、
結局渡せなかったネックレス…。
そうだ、思い出した、私が告白しようとする前の晩、
電話が掛かってきて、何も言ってないのに「私に告白なんかしないでよ」、
と先にふられた曰くつきのネックレスだ…。
当時の酸っぱい思い出がよみがえってくる。
あとでミソを取り払って、別の女性にプレゼントしよう。
硬い。
ああ…、これは…、
5年前、ジョン・レノンに傾倒してラブ&ピースを叫んでいた頃の日記だ。
こんなものまで出てくるとは思っていもいなかった、すごいミソラーメンだ。
ジョンに対するマイブームが終わる頃、読み返すのが恥ずかしくて捨てたはずだ。
内容は残念ながらミソにまみれて読めないが、
あの頃の熱い気持ちがふつふつと蘇ってきた。
あとでミソを取り払って、改めて捨てよう。
そろそろ麺も片付いてきたかな……、ん? まだ何かあるぞ。
ああ……、まさかのスーファミ。
これは山下くんに借りたまま、結局返せず終いだったものだ…
(山下君は不幸にも銃弾に倒れた…)。
そうか…、今日で山下くんの10周忌か…、
ミソラーメンは私にそれを伝えたかったのか…。
これで電源を入れたら、部屋に香ばしい味噌の香りが漂うだろう。
山下君は、僕に多くの思い出と、味噌まみれの記憶を与えてくれたのだ!
あとでミソを取り払って(漏電したら怖いので)、
山下くんが好きだったソリティアでもやろう…
(明日、仕事に使うデータは大丈夫であろうか・・・? ああ・・・) 。
こうして思い出のミソラーメンは、私に様々な思い出を与えてくれた。
思えば長く生きてきたものだ…、私は時として、
数々の思い出に支えられながら生きていることを忘れてしまう。
しかしそれは間違えである、私は一人で生きているのではない、
多くの人たちと、多くの物たちとの触れ合いを通して、ここまで生きてきたのだ。
ありがとう、思い出のミソラーメンよ。
思い出のミソラーメン・食後
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
思い出のミソラーメン・食後
思い出のミソラーメンは、新たに誰かの思い出を
蘇えらせるために、旅に出ようとしている。
次は誰の元に行き、どんな思い出を与えるのか、
それは私の知る由ではない。
ありがとうミソラーメン、そしてさようなら。
※なお、しつこいようだが、これらの写真はすべて高度なcgによって作成された。
現実世界で食べ物を粗末にしては、決していけないのである。
ここは近所のごみ置き場。
マヨねぎの入った土鍋はここに置かれた。
それが分相応に見えるのが不思議だ。
僕らに夢を与えてくれたマヨねぎ、君の事は忘れない。
ありがとう、そしてさようなら。