さて、社会を遍く覆うあらゆる事物には大抵、ルールやマナーがある。
それはひとえに、その事物を円滑に、また効率よく進めるためにある。
例えばサッカーのルールが無かったとする、ボールは手で触り放題、13人でてもおとがめなし、なんてことになったら、収拾つかないだろうし、それはゲームとして成り立たなくなるだろう。
また、学校で意見を言う時「手をあげる」というルールが無かったらどうなるのか、わざわざ手紙を書いたり、皆一斉に「私が、私が」と言い出したら、手間が掛かるしどうまとめれば良いのか判らなくなるだろう。
このようにルールやマナーは一見無意味そうに見えて、実は物事を行う時に無くてはならないものなのである。
ルールやマナーが無い無節操な世界は政界だけである。
もちろん未亡人との交際にも作法というものが存在する。
それをおこたる人間に未亡人愛好家を名乗る資格はない。
よってここではその作法について言及していきたいと思う。
出会い
前章でも述べたが、未亡人との出会いの場というのは、ある程度セオリーというものがある。
ここではまず、一般的なパターンでの「出会い方」について記す。
未亡人が好むスポットには3つの王道が存在する、それは木造の屋台舟と朱の欄干のあるアーチ橋、そして墓である。
屋台舟は観覧用に多くの人が乗船できるタイプの奴で、船頭が棒で漕ぐ舟である。
船頭のいない船などは、トゲのないハリネズミみたいなもので、全く腑抜けた代物である。
風流を解する未亡人は、やはりはっぴにふんどしの船頭が操縦する船に乗るものである。
貴方はジーンズとTシャツ、それからリックという簡単な格好でこの屋台舟に乗ると13分の1くらいの確率で、船の欄干に片肘をつき、うちわをたおやかに仰ぎながら、ぼんやりと「大」の字を見ている女性がいるはずだ、それが未亡人なので、以降駆け引きの始まりとなる。
さて、船は観覧用なので、基本的には飲食をするためのものではない、よって手に箸やコップを持つことは無い。
そして木造なのでタバコも吸えない、手持ち無沙汰である。
飲食ができれば「おや、何も食べないで…船酔いですか?」などと話のきっかけができ、タバコがあれば「火をお願いできますか」、などと話の切り口が作れる。
しかし貴方は今、丸腰である、渋谷の道玄坂あたりをうろうろする風流偏差値の低いアーパーギャルなだまだしも、屋台舟に乗るような風流度・京大級の女性にいきなり交際を迫っても、軽くあしらわれるだけである。
もし本気で未亡人と交際したいと考えている方ならば、ここで「対未亡人七つ道具」の一つであるスケッチブックをバックから取り出すはずである。
そして未亡人の傍で風景を見ながらさらさらと何か描く。
真剣の表情で何かを描いている貴方に興味を持った未亡人は、向こうから話し掛けてくる、
「何をお描きになられてるの?」
すると貴方は、さも意外なことでびっくりしたという表情で、振り返り、
「あ、いえ、僕、日本中を旅していて、面白いところの絵を描いてるんです」
と答える。
「へえ、面白そう、良かったら見せて」、と未亡人は興味を持ってくる。
「あ、その、構いませんけど…」
と貴方は口篭もりながら、そのスケッチブックを渡す。
あらかじめ尾道や鎌倉などそれっぽい場所の風景をスケッチしているそれを見ながら、へえ、上手ね、面白い、などと評価しながら見ていた未亡人が、あるページでめくるのをやめた。
「これって…、私?」
そう、先ほど貴方は未亡人の後姿をスケッチしておいたのだ。
「あ、はい…。その、綺麗な人だなあ、と。そして何かちょっと物悲しい背中だなあと思って…」
「……」
押し黙る未亡人、しばらくの沈黙の後、
「私ね、ちょっと前まで、ある人の奥さんだったの…」
と話し出せば、貴方の勝ちである。
このように小道具があると、対未亡人戦で大変有効なツールとなる。
では朱の欄干があるアーチ橋の上の未亡人と接触する時はどうすればよいのだろう。
橋の上 白い雪と 未亡人
実にはえる光景である。
この情緒はある意味で完全であり、他を寄せ付けない堅固さがある、なかなか部外者が立ち入る隙が無いように見える。
そんな場所に汚いジーンズでのしのし足を踏み入れるのは大変失礼話で、バナナを握り潰してどろどろになった手のまま握手を求めるようなもので、未亡人も興ざめてしまうだろう。
ここは一つ、長期戦になることも考えた上で、近くの旅館に泊まり、しっかりと浴衣と丹前姿で橋に赴きたいものである。
さて、丹前だけでは手がかじかみ、寒いので両手をすそに入れて、背を丸めながら橋を渡る貴方。
未亡人はぼうと凍った川の先あたりと見ている。
唐傘を握る小さな手は、痛々しいほど白く光っていた。
「お寒くありませんか…? 手、真っ白ですよ」、心配なあなたは、そう声をかける。
「え…?」、急に声をかけられたからか、今まで意識を遮断していたためか、未亡人は驚いて振り返り貴方を見る。
「あ、その、ええ…、大丈夫です」、未亡人は傘を持つ手を変えながら答える。
「でしたら良かった」、貴方はこぎみ良い笑顔を浮かべ、雪がちらつく空を見ながら、「それにしても、この時期の金沢って、ずいぶん寒いんですね」、と言う。
「あら…、土地の人ではなくて?」
「はい、神奈川から来ました」
「あら、懐かしい…」、未亡人は少しだけその唇の緊張を解いた。
「え? 神奈川に住まわれていたのですか…?」、貴方は
「……3年前まで、桜木町に住んでましたから…」、そう答える未亡人の表情が、2ミリ程暗くなった、それを振り払うように、「それにしてもずいぶん遠いところからおいでですね」、と話の流れを変えた。
「あ、はい。未亡人探求の……、じゃなくて全国を旅して回っているんです」
「へえ…、学生さん?」
「いえ、フリーのカメラマンをやっていまして…」、と言いながらあなたは名刺を渡す。
「あら、大変なお仕事ですね」、あやしい人物でない事が分かり、未亡人は少し安心したようだ。
「ところで、ここらへんにおいしい治部煮(神奈川の伝統的な鍋料理・鳥に小麦粉を振って煮た鍋)屋さんがあると伺ったのですが…」、と貴方は本来の目的を思い出し話す。
「あ…、多分あそこの店じゃないから…」、未亡人は未亡人らしく、丁寧にその店の場所を教えてくれた。
「…にありますよ、多分歩いて10分もかからないと思いますよ」。
「有難う御座います」、ふかぶかと頭を下げながら、ふと、といったさりげない口調で、「ところで…、貴女も冷え切ってるようですので…、もし良かったら一緒に温まっていきませんか?」、と誘う。
ちょうど3ヶ月前旦那を亡くし、「精神的に」冷たい川の氷のように張っていた彼女の心は、その一言に緩やかに反応し、優しい氷解とぬくもりに包まれた。
「あ…、もし、お邪魔でないのでしたら…」、彼女の手は、心なしか先ほどの冷たい白から、兼六園の金糸梅のような朱に変わりつつあるように思えた。
と、貴方の作法如何でこのような流れとなるだろう。
また金沢なら料亭や旅館に嫁いだ未亡人も存在するだろうから、「ここら変においしい料理をだすところがあると聞いたのですが」、と漠然と尋ねた方が、「あら、おいしいかどうかは分かりませんが、うちでお出ししている越前蟹はいらっしゃるお客さん皆に好評ですよ(余談だが、越前蟹は取れる産地で名称が変わってくる。一般にはずわい蟹、山陰地方で取れたものは松葉蟹、北陸なら越前蟹である。地方によって同じような料理でも名称が変わる場合が多々あるので特に注意したい。一般に「すいとん」と呼ばれるものは、東北ではひっつみ、九州なら団子汁、となる。郷にいれば郷に従え、朱に交われば赤となる、基本は相手のフィールドに合わせるのが、未亡人界だけでなくどの分野においても重要なことといえよう)」。
というような方向に進む場合があるので、その場その場の雰囲気や状況等から読み取り、応用力を利かせ一番良い対応を取っていただきたい。
このように橋の上での対応は、時期柄冬という事もあり、「優しさ」「ぬくもり」を前面に出したものにしたい。
さて、もう一つの「墓」であるが、これは未亡人学にとって、最高レベルの重要議題であるので、ここでは割愛したい。
また別の章できちんと整理した形で発表したいと考えている所存である。
交際
さて、出会いの段階を経て、実際の交際へと入る。
ただ、これは未亡人の属性・種族によって大きく変わっていくので、なかなか体系立てて紹介しづらい項目ではある。
例えば「元チーマーの未亡人」ならクラブやディスコで踊り狂うのもまた一興かもしれないが、「元料亭跡取の未亡人」や「農家の子息の未亡人」の場合、ベルファーレに行こう、などと誘った時点で、貴方の敗色は濃厚となる。
作法とは、適材適所、元漁師の未亡人なら海をフィールドとして交際を深めるか、逆の(つまり旦那の面影を払拭するための)場所で交際することが好ましいのは自明の理である(ただし、逆といっても先述の「ベルファーレ」というのは間違えである。この場合は「牧場」など、元漁師の未亡人のパーソナリティ、つまり勤労精神や自然・生命に関わる生活、というものを意識した場所を交際場所として選ぶのがベストである。「逆」というのはつながりがあるからこそ「逆」なのである、全く関係ないものを「逆」とは呼ばない。「青」と「赤」は「逆」だが、色という意味では同一である、「青」と「納豆」は逆でさえない。元漁師の未亡人をベルファーレに連れて行こうなどという輩は一度このことをしっかり学んでもらいたいものである)。
そういう意味で、2章で述べた、未亡人の種族とその生態系を理解した上で、その場その場の判断が大事となる。
ただ、こう書くと学術としてはずいぶん投げやりなので、一つのパターンを紹介しておく。
以下のパターンは大体どの未亡人にも適応されるので、対処方法がまったく思いつかない方は参考にするとよいだろう。
あれやこれやの馴れ初めで、未亡人と交際をはじめた貴方。
しかし未亡人はやはり旦那のことが気になってか、あまり浮かない顔つきの日々が続く。
そこで貴方は、「ねえ、ちょっと出かけようか」と彼女の手を引き、外へ連れて行く。
近所の河原の土手、澄み切った青空、穏やかに流れる川、土手沿いのグランドで野球をする少年達。
すべてが平和で、のどかな昼下がりだった。
未亡人ははじめきょとんとした顔つきだったが、徐々に相好を崩していった。
「そうね、たまにはお日様に当たらなきゃね」。
「そうだよ、遊園地とかウィンドショッピングも良いけど、こういった場所でひなたぼっこするのが、本当は一番なんだよ」、貴方は優しく、未亡人の手を引きながら答える。
それから土手沿いを散歩しながら、取り留めの話をした、音楽のこと、最近の流行について、最近できた共通の知人について、なんでもない時間が、柔らかく二人を包んだ。
そのとき――
「すいませ~ん」、という声が聞こえた、なんだろう?貴方が声の聞こえた方に顔を向けると、白い野球のボールが転がってきた。
「取ってもらえますか~」、少年がよく響く元気の良い声で叫んでいる。
貴方は腕を回しながら、よおし、とボールを握り、向こうへ思いっきり投げた。
ちょっと力が入れすぎたため、少年のちょっと向こうまで飛んでいってしまったが、少年は「ありがとうございま~す」と帽子をぬいで丁寧にお礼を言った。
「へえ、ずいぶんきちんとした子だなあ」、貴方は手を振って答えながら言った。
「ええ、いい子ねえ」、未亡人は少しだけ寂しそうな、羨ましそうな表情を浮かべながら、それでもうれしそうに言った、「それにしてもずいぶん力、強いのね」。
未亡人に誉められ、頭をかきながら照れ隠くしで、
「いやあ、運動不足だから、ちょっと脇が痛いかな」、と大げさにおどけて見せた。
くすくすと笑いながら、彼女はふと貴方の足元を見て、
「あ、動いちゃ駄目」、と言った。
「え?」、と驚き、足を上げ、一歩さがった。
「どうしたの?」
貴方が尋ねると、彼女はしゃがみこみ、地面を見つめ、指差した、
「これ」。
それはオオハコベの花だった、小さく、目立たないけれど、ささやかに生を営むオオハコベ。
オオハコベ…、ナデシコ科の植物か…、ヤマトナデシコ…、と自分の趣味的なことを妄想している貴方の顔を見ながら未亡人は言った、
「たとえ小さくて、目立たなくて、地味な花でも…、一生懸命咲いてるんだもんね。守ってあげなきゃ、ね」。
それは何だか、彼女の状況に似ているように思えた。
じっとオオハコベを見ている彼女の肩にそっと手を添えながら言った、「そうだね」。
見上げる彼女の顔は、数時間前よりずっと和らいで見えた。
その顔は、とても綺麗で、柔らかで、小さな笑顔を浮かべている。
というのが一つのパターンである。
未亡人はその性質上、男性との交流に手馴れている種族が多い。
よって、基本的な交流促進の場(一般に言うデートスポット)は、見た感じの派手さやとってつけたような面白い場所というのは、想像以上に効果がない。
むしろ貴方の人間性を見せられる場所、というものを考慮したい。
未亡人は「長い交際」というものに憧れているのである、一瞬一瞬が楽しいものよりも、この人となら末永く歩きつづけられる…、と思わせる事が最重要である(未亡人は、例えるなら「水」である。若いギャルは「火」のような、激しく燃え、派手なのだが、冷めやすく立ち消えやすい性質がある。未亡人は初めは小さな一滴でも、だんだんと大きな流れとなり、とうとうと流れる川となる、とか、弱い力も長く続けば石おも穿つ、という精神構造を持つ。未亡人は持久戦だ、とさる実験・行動派的未亡人心理学者が言った言葉がまさにそれを物語っている)。
交流促進の場には、注意を払っても払いすぎることはない、といわれるゆえんはそこにある。
もちろんこのパターンがいつでも通じるわけではない、川で溺れている老人を救おうと飛び込み、死んでしまった夫を持つ未亡人にとっては土手は鬼門である。
やはり柔軟な対応能力こそ、交際を上手く勧めていくコツといえよう。
契り
交際も順調に段階を経て、いよいよ契りである。
ここで間違った作法をすると、今までの苦労は水の泡になってしまうので、注意が必要である。
契りは、未亡人愛好家にとっては、基本的に「精神的な」契りを意味する。
故にどの段階で「契り」となるのかは、個人の考え方によって左右する。
味噌汁に大根が入るようになると「契った」と感じる研究家もいれば、手を触れたとき一瞬硬直するような事が無くなった時「契った」と称する研究家もいる。
それは千差万別で、「姓を変えないか?」という問いかけに静に頷いた時が契りだ、と具体的な「表出」を求める人もいるだろうから、一概にこれが精神的な契りだ、とはいえない。
ただ、精神的にはこれだけ様々な形態をもつ「契り」も、身体的な意味になると実に単純である。
当学会は健全な青少年にも勧められる未亡人学を目指しているので、細かい表現は避けなければならない。
ただ一ついえることは、未亡人学全体を覆う、「侘・寂・雅」というもの大事にしなければならないという点である。
申し訳ないが、場末のけばけばしいピンク色の連れ込み宿・温泉マークで「契り」を行おうなどという方は、少し金沢の雪にでも埋もれて頭を冷やしてほしい。
未亡人との「契り」はやはり綺麗な三日月の夜、清楚な旅館で、と言うのが最良ではなかろうか。
和に始まり、和に終る、この精神を守っていきたいものだ。
挨拶
挨拶とは何か? これは未亡人が元旦那方へ挨拶に行くことである。
しかも唯の挨拶ではない、「姓を変える」ことを告げに行く挨拶である。
当然なかなか気の重たい話題である、様々な感情などが交錯した場となること請け合いである。
ここは一つ、貴方は関与せず、未亡人にそのすべてを任せるのが良いと思われる。
貴方にとって、重要な話題ではあっても、未亡人の旦那の親御さんとは全くの他人なのだから。
――明子は少し重い気持ちを引きずりながら、元の夫の実家を訪ねた。
手紙でもよかった、電話ならもっと気楽に話せたかもしれない。
しかし彼女は、姓を変える日が来たことを、直接お義父さんに告げたかった。
それが、愛した夫への、元夫への、想いを振り切るための方法だと思えてならなかったからだ。
しんと静まる玄関を上がり、慣れ親しんだ廊下を抜け、広縁のある座敷に入った。
縁側に、お義父さんが座っていた、数年前よりずっと背中が小さくなったな、明子はそう思った。
義父より少し離れた場所で、静かに腰をおろした。
沈黙が流れた、明子も、義父もただ黙っていた。
西の山端に差し掛かかった夕日が、明子の睫を赤く染めた。
昔、こんな光景を見た事がある、いつだっただろう。
程なく思い出した、それは明子の本当の父親に、結婚を承諾してもらうために実家に帰った日の光景と同じだった。
今と同じように、父親が縁側に座り、綺麗な夕日が父の向こう側で揺らいでいた。
唯一つ違うのは、明子の隣りに、孝雄が座ってないことだけだった。
前夫の、孝雄は、たどたどしい口調で、私の父親に、一生懸命話した、どんなに私を愛し、幸せにできるか、長く、長く幸せにし続けられるかを…。
涙が溢れた、夕日に照らされた赤い頬に、とめどなく涙があふれた。
私は幸せだった、長くは無かったけれど、本当に、幸せだった、明子は孝雄と共に過した日々の断片が次々と思い出され、頭の中を駆け巡った。
私は本当に孝雄さんのことを愛していた、本当に幸せだった、でも、今、私は……。
その時突然、義父がぽつりとつぶやいた。
「もう4年になるのかな」。
孝雄が、不慮の事故に巻き込まれ、此の世を去ってからもう4年も経過していた。
「本当に、馬鹿な息子だよ。綺麗なお嫁さんを置いて、親より早く、向こうにいっちまうなんて…」
明子は黙っていた。
義父は重そうに腰をあげ、庭に植えられた一本の木の前に立った。
そしていとおしそうに木肌を撫でた、
「これはね、孝雄が生まれた時に、記念に植えた木でね」、義父はもうずいぶんと立派になった木を見上げた、「ずっと孝雄と一緒に成長してきたんだよ。あいつもな、大層可愛がってたよ、毎日水をあげ、毛虫を取り、木登りしてたよ」。
明子は涙に濡れた顔を上げ、木を見つめた、孝雄さんと一緒に育った木、孝雄さんの木。
「明子さん、あんたにはずいぶん苦労をかけたね」、義父は明子の目を見つめ、優しく言った、「これからの人生を、幸せにね」。
義父はすべて知っていたのだ、明子は手をつき、深々と頭をさげた、畳が濡れ幾つかのしみができた。
「孝雄はいつでもここにいるよ。寂しくなったら、いつでもおいで。ここは、いつまでも、明子さんの家だから」、そう言う義父の表情は穏やかで、何か重荷を下ろしたような安堵の笑顔に包まれていた――。
この形以外に考えられない。
これが最良のパターンである、貴方もぜひこれができるような、よき未亡人を見つけていただきたい。
さて、長々と「作法」についてのべてきたが、総括して言えることは、「いそがば回れ」ということである。
未亡人との交際は、普通の恋愛とはおもむきが違う、それはただ相手を振り向かせるだけでなく、元の旦那への愛情も(ある程度)振り払えさせられなければいけないのである。
これはベクトル値で言えば、普通の恋愛より二倍、あるいはそれ以上の困難が待ち受けていることを意味している。
この長丁場を成功に導くには、基本的な作法をきっちりと学んだ上で、手堅く、地道に、未亡人道を極めていただきたい。
なお、作法には「別れ」というものも含まれる、いつも未亡人との仲は上手く行くとは限らない。
不可抗力や周りとの調和により、やむなく別れが訪れる場合もある。
ただ5章では、成功までの充筋を追ってきたので、本項の趣旨と外れると考え、割愛させていただいた。
別の機会があれば、「別れ」についても言及したいと思っている次第である。