昔から色んなところをぶらぶらするのが好きで、鈍行から新幹線まで、電車にもよくお世話になりました。
ただ最近はもっぱらバイクでうろちょろするため、仕事で使ったり地下鉄に乗ったりする以外はすっかり疎遠になってしまいました。
電車旅、いいですよね。
先日テレビで、「定年退職した老夫婦が『青春18キップ』で旅をする」みたいな番組をやっていましたが、旅はいくつになっても青き春行く鈍行列車なのでしょう。
のんびりと風景を眺めながら、時々到着駅で駅弁を買ってつまみ、特急列車が行くのを待つとか。
ううむ、たまには適当な普通列車に乗り、だらだらと旅するのもいいかもしれません。
18キップを使い切るほどの時間を見つけるほうが大変そうですが……。
田舎のほうに行くと、結構土地の人の足として利用される単線などに出くわしますが、乗ると面白いですね。
農具を持った田植え帰りと思しき人や部活帰りの学生たちが、日常ではない旅行者の存在に気をとめることなく、風景を眺め、仲間と話している様は、単線の緩やかなゆれにも似た、土地ならではの柔らかな時の流れを感じさせます。
そういえば僕の地元では未だに無人駅があります。
無人なので駅の入り口から入る必要もなく、駅の対面にある家の軒先からひょろりと線路を越え、何事もなかったかのようにホームのベンチに座る人なんかもいます。
もちろん中にはちゃっかりキセルする悪い人もいるのでしょうが、未だに廃線にならずに列車が走っているのを見ると、皆さんきちんと運賃を払っているはずです。
それを必要とする人たちが、システムに不備があってもきちんと支えている、というのはいいものです。
東京の駅や電車は――と、なんでも都会と田舎を比較するのってナンセンスなんでしょうが――どこか合理的にすぎて、こう、時々窮屈に感じることがあります。
カードや自動改札なんかもそうですが、たとえばお手洗い。
東京の駅のお手洗いって、大体構内にあるようですが、なんでかなあとふと考えると、これっておそらく浮浪者が備品をもっていったり寝付いたりしないためなんでしょうね。
(中にはバリアフリーのトイレなどには鍵がかけられていたり。これも同様の理由らしいのですが、困っている人がすぐに利用できない設備って何の意味があるんでしょうね? 車椅子用のリフトとか)
なんだか電車や駅を構成するすべての要素に、いちいち何らかの理由があるように思えて、なんだかちょっと、と思うわけです。
さて、電車で旅をする旅人が一度は見てみたいと憧れるのは、なんといっても「女性の一人旅姿」でしょうね。
いや、なんというか、こう、たとえば大きなバッグをかかえたうら若い女性が、うつろな目で外を眺めていたら、色々想像しちゃいますよね。
蒸発し消えてしまった夫、その記憶を振り払おうと思い出の海へ赴き、夫の使っていた歯ブラシやネクタイを捨てようとしているんだなあ、おそらく、なんて。
ところで女性の一人旅って昔から「なんだかちょっと特殊な状況では」と思われがちですが、これ、なんででしょう?
きっと一人で旅をする女性が少ないからなんでしょうが、ではなんで女性は一人旅しないのでしょうか?
で、この前知り合いの女性に偶然「なんで一人旅しないんだろう?」と聴いたところ、「だって面白くないじゃん」とのことでした。
一人で旅してもおしゃべりもできないし、何をしていいかわからない、というのがその人の理由でした。
これは意外と目からうろこでした。
僕は皆さんと行く旅行も好きですが、一人で旅行するのは集団の旅行とはまったく別種類の楽しみなんじゃなかろうか、と思っていたんですね。
自分のペースで移動し、好きなときにメシを食って、好きなときに寝る。
見たい風景を見て、感じたい感慨を抱く、それが一人旅の醍醐味だろうなあ、と。
なので面白くないとは意外だなあ、と思うと同時に、あるいは正しいのかなあ、とも思えました。
旅行は日常の延長として、リラックスした状態でこそ楽しめるもの。
たとえば昔のヨーロッパの貴族なんかが避暑で旅行するときなど、馬車何台も引き連れて、いつも使っている家具やらなんやらも持っていっていたそうです。
これもあるいはリラックスして特殊な状況を楽しむためのものだったのかもしれません。
いつもの仲間と一緒だからこそ旅は楽しいというのも正論なんでしょうね。
んー、一人旅にある種のロマンチシズムを求めるというのも、まだまだ青い証拠かもしれませんね。
まだ27歳だし。
もうすぐ誕生日だけど。