« 4コマまむが vol22 -牛狂い- | メイン | 4コマまむが vol24 -百獣の王- »

4コマまむが vol23 -17歳の地図-

17歳の地図

未だに栃木と群馬の位置を、どちらが右でどちらが左か、確信をもって答えられない鷲野です、こんにちは。

僕は割りとバイクなんかであちこち出かける方なのですが、地方の山奥なんかに行くと大概道に迷います。
「おや、今北向かっているはずなのに道路標識には南の方の地名が……」
「湖に向かっていたのに、聞いた事もない寺についてしまった」
「何? この湧き水」
みたいな。

途中で気がつくのはまだ良い方で、本格的な田舎になるとまともな道路標識などなく、地元の人が利用する大字っぽい地名が、キノコが生えそうな木板にふにゃりと書かれていたりすると「ちとやばいかも」なんて思ったり。

無論、国道や高速など、太い線に乗っていて迷うことはないですし、地図も持ち歩くので目的地のルートに戻ろうと思えばすぐに戻れるのですが……。
案外、「わざと」迷ってみるのも面白いものなんですね。

これは「若さ」に対しても言えることで、なんて話はむりくりな気もしますが、多分そうなのではと思います。
「自分」を決め打ちせず、わけのわからんルートに放り込むのは、本道から遠回りした分道路感がするどくなるんじゃないかなあと。

なんでまた突然そんなこと思いついたかというと、むかーし尾崎豊というポップミュージシャンが歌った「17歳の地図」という単語をネットで見かけたからなんですね。
もうタイトルからして青臭いのですよね、歌詞は知らないのですが、たぶん17歳の思い描く夢やら迷いやら、「地図なき未来」みたいな曲なのでは?

僕、実は今まで一度も、この歌手の歌を通しで聴いたことがないんです。
僕の青春の歌というと、もっぱらサイモン&ガーファンクルだったりビートルズだったりしたのですが(それはそれで青臭いのですが)、どうも尾崎豊の曲のどストレートな青臭さが鼻について聴く気が起きませんでした。

といっても世代がちょうどその頃だったため、同級生でどっぷりはまっている人たちはたっぷりいたので、街中の放送やカラオケなんかではちょろちょろ耳にする機会がありました。
で、いまさら思うのが、ああいった判りやすい青臭さって、ある種の「道標」として意味あるのかなあ、なんて。

人生ってひとつながりなので、自分の幼さや未熟さを、今ある自分の体温でしか測れないので、得てしてかつてあったはずの生々しさは感じられなくなっちゃうんですね。

それが、例えば本気で盗んだバイクで走り出しちゃった人とか、夜の校舎の窓ガラスを割ってみようなんて考えていた人なんかは、その頃を思い出しては赤面して己の青臭さに体を震わし恥ずかしがるのではないでしょうか。
「体験の一致」はある種の媒介を通した方が当然リアリティが生まれます。
そういう意味で青春の歌は青春の歌として享受する、「青春の触媒」を持たずその楽しみを逃していたのかなあ、と「17歳」から10年ちょいを経過した今、しみじみと思ったり。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.w-room.net/mt/mt-tb.cgi/93

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

2010年04月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のコメント

Powered by
Movable Type 3.34