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2007年08月 アーカイブ

2007年08月13日

4コマまむが vol16 -ケーキを食べればいいじゃない-

ケーキを食べればいいじゃない

「人はパンのみで生きるにあらず」とはよく聞く言葉。
これは、理性と文化の生き物である人類においては、食欲のみ満たされていても「人」として生きているに値しない、という意ですね。

ではパン以外の生きるカテとはなんでしょう。
そんなものいうまでもありません、「つけ麺」です。

あたくし、最近つけ麺にどっぷりはまっております(なんか以前もこのブログで書いたような記憶がありますが……)。
つけ麺、いいですね、つけ麺。
豚骨魚介のつけ汁にぷりぷり多加水の太麺。
濃厚なつけ汁にたっぷりひたした冷たい麺をつつつるーっとのどに落とし込めば、世界は色を取り戻します。

いいですねえ、つけ麺。
夏はつけ麺さえあれば、パンもごはんもいりません。
あ、でもラーメン屋のチャーシュー丼とかって旨いんだよなあ。
やっぱ米、旨いっすよね。
パンはパンで旨いしね。
ビバ・飽食!

飽食といえば、マリー=アントワネットの有名な言葉で「パンがなければケーキ食べればいいじゃない」というのがあります。
この言葉、大体の場合「庶民の台所事情を知らず、パンの代わりになるものを食べれば済むよね、といった世間知らずな台詞」と思われていますが、ちょっとまってください。
パンの代わりにケーキ? そもそもそこがおかしいですよね。

判りやすいように身近なものに例えてみましょう。
我が国でパンに値する食べ物といえば、もちろん「つけ麺」です。
ではケーキは、というと「すいか」以外にありません。

仮に知人が「おい、今日はつけ麺でも食いに行こうぜ」と誘ってきて、いざ行くと店は閉まっていて「しかたねえから代わりに、そこの八百屋ですいか買って食うか」と言ったら、僕はその人物の思考に疑問を抱きながら、すいかを食べ、夏の涼を楽しむことでしょう。

マリーが言ったのはつまり、こういったちんぷんかんぷんなことなのですね。
常識ある人物であれば、「じゃあちょっと遠いけどちがうつけ麺屋に行こうぜ!」というはずです。
では彼女はどういえばよかったのか?
無論当時フランスにはつけ麺屋はなかったでしょうから(たぶん日高屋くらいはあったと思いますが)、彼女はこう言うべきだったのです、「我が国にパンがないなら、隣国に亡命してパン食えば?」
……これはこれで駄目な女王ですね。


さて、引っ越してはや1ヶ月。
ブックオフ先生にふたたび本たちを引き取ってもらいつつ、ようやく届いた本棚に荷物を整理したら、ようやく片付けもひと段落しました。

本棚1

引越し前・後あわせてダンボールで7箱ほど本を処分したのですが、そのためかいささか本棚が手持ち無沙汰に。
まあ、スペースがあるくらいがちょうど良いですね、買ってもしばらく処分せずにすみますし。

本棚2

旧本棚は書類と雑誌・ムック用に。
部屋が片付くのはいいですね、気持ちがさっぱりします。
片付けたら気持ちがゆるんだので、つけ麺でも食べに行くかな。

2007年08月15日

4コマまむが vol17 -銃社会-

銃社会

鍛え上げた鋼の肉体も、鉛玉の前では綿と化します。
悲しいですね、でも安心してください。
オリンピックで3位以内に入れば、心臓部をガードするサポーターをもらえます。
柔道家たちは銃を跳ね返す金ぴかのサポーターのために、今日も柔の道を突き進みます。

2007年08月16日

4コマまむが vol18 -クッキング-

クッキング

あたくし日本人なので、やっぱり和食が大好きだったりします。
ごはんにおみおつけ、漬物、干物をそろえたら、もう何も要りません。
焼きたてのアジの干物に箸を突き立てて、シャクシャクっと皮を割き、ぷっくりとしたほくほくの身を炊き立てご飯にのせ、ぱくり。
たまりませんね。

そういや「日本人なら和食」という言葉はよく聞きますが、他の国ではどうなんでしょう?
「アメリカ人ならやっぱ米食だよね」とかって思ってるんでしょうか?
毎日毎日、Tボーンステーキにフライドポテト、ハンバーガー。
ピザ、コーラ、ゲテモノケーキをぱくついては、「これが僕らのソウルフードだよねえ」なんて言ってるのかしら?
たとえアメリカ人でも、数日でおなかを壊してしまいそうなのですが……。
というか飽きそうですけどね、毎日マクドナルド的生活だと。

無論僕も、色んな料理が世の中に出回っている時代なので、毎日和食というのもあれだなあということで中華だったりイタリアンだったりを口にするのですが……。
ただ、ご飯と味噌汁以外食べてはいけない状況でも、特に耐えられないことはないかと。
和食は淡白だから飽きが来にくいのかしら?

2007年08月17日

4コマまむが vol19 -ニートじゃない、自宅警備員だ-

ニートじゃない、自宅警備員だ

最近ちらほらと、主にネットで見かける言葉で「自宅警備員」というやつがあります。
これ、はじめ聞いた時ピンとこなかったので調べてみたら、ニートのことなんですね。
なかなかセンスの良い名付け方ですね。
女の「家事見習い」があるなら、男の「自宅警備員」だってあってもいいのかもしれません。
小型犬程度の番力もあるかどうか疑わしいですが。

ところでニートだか自宅警備員だか知りませんが、メディアで時々見かける彼らが妙に自信たっぷりだったりするのが、いつ見てもおもしろいなあ、と。
「働くなんてバカみたい」みたいなことを20~30歳くらいのいいオトナが言っていると、シュールなジョークのようにも見えます。

当然浮かんでくる疑問として、「働かなくて、お金どうすんの?」というのがありますが、顔を見ればジゴロになれる風体とも思えず、デイトレードで稼いでいるような気配もありません。
となると、答えはおのずと「親に依存している」ということになります。
うーん、親のアガペー力を頼って生きている人間が、なんで自信をもてるのか、普通に考えると頭が混乱してしまいます。

が、うがった目で見てみると、「オレが生きていける=親の経済力・包容力が優れている=親はすばらしい」という帰納的な発想から親を敬っているとも見て取れます。
おそらく彼らは、メディアに向けては「働くなんて……」など強がっていても、自分を保護(飼育)してくれている親には牙を向けないはずです(本当か?)。
なんせ居なくなると、生きていけませんからね。

これは我が国がいつの間にか失ってしまった尊い道徳心、「親を敬う気持ち」の体現であり、自宅警備員とはある意味「子どもの理想的な姿」と言えるかもしれません。
すばらしいですね、自分が親ならすぐダンボールに詰めてハローワークか中国の肉まん屋に送り付けますが。

ところで「ニートは現在の闇で……」、みたいな言われ方をしますが、「働かない人間」なんて昔っからいたような気も。
近いところだとヒッピーやらフーテンやら、今のニート的なポジションの人間はごろごろ居たはずです。
むしろ完全失業率5%程度、という国民ほぼ労働者時代というのは、おそらく過去の歴史からして稀有な状態なのでは、なんて想像します(東京。
多分、現在において「ニート」という立場がものめずらしい、ある種象徴的(経済的成長に対する虚無だったり)なため、やたらと取り上げられているのかも。

んー、だからといって「今の若者は」の十把ひとからげにされちゃうのも、あまり気持ちのよいことではないので、自宅警備の方々はぜひ違うところも警備するようになってほしいですね。

2007年08月19日

下高井戸の安い魚屋

京王線は下高井戸駅。
駅のすぐそば、活気ある商店街の一角にどっぷり昭和のなごりを残す「駅前市場」には、知る人ぞ知る、「長谷川商店」という魚屋が存在します。

何で有名かというと、魚が安いからなんですね。
で、本日ぶらりと立ち寄ってみたら、気になる商品が。
「えんがわ 1舟 500円」

あたくし、こうみえてもえんがわ大好き人間でして、あのびろびろでろでろ、魚脂たっぷりのこりこり物体が好物なんですね。
それをワンコインで大量に食えるのです。
即買いです。
(寿司通の人は「本物のひらめの縁側は脂なんてのっておらん! 回転寿司ででまわっとるのは別の魚の安いえんがわじゃ!」とかのたまうそうですが、んなことはどうでもいいのです。うまいと思えるものがうまいんだす)

えんがわ

いや、ほんと、こんなに大量のえんがわが我が家のまないたの上に乗っているのは壮観ですね。
というか、えんがわを単品で買ったことがないので、どう調理したものかわかりません。
仕方がないので、普通に寿司を握ることに。

もみじおろし

といっても脂っぽいえんがわ、普通に食ってたら数個で胃がもたれそう。
そのため薬味を添えることに。
こちらはもみじおろしですね。
普通もみじおろしというと、大根にタカのつめを詰め込んで(シャレじゃないですよ)おろすのですが、面倒なので普通に大根おろしを作って粉末の唐辛子を混ぜました。
あとネギなんかも用意して、脂対策は万全。

寿司酢

寿司酢は砂糖の量を控えめに。
僕、どうも酢飯に限らず味付けが甘すぎるものって、苦手なんですよね。
甘さは味覚の中でもかなり「強い」ですからね、甘すぎるものは何もかも「甘い」味にしか思えなくなっちゃいます。

シャリ

酢ができたらメシとあわせて寿司メシに。
ここで困るのが「うちわ担当」です。
あたくしのような単身者はしゃもじで寿司を切る際、うちわを仰いでくれる人が居ません。
そのため口であおぐか、パソコンの裏側のCPUクーラーを利用するか、あるいは天に祈って神風を吹かしてもらうか、それでも駄目なら最後の手段として扇風機を利用するかしかありません。
僕は一通り試した結果、どれもうまく行きそうになかったので仕方がなく扇風機を利用しました。

バーナー

刺身を買ってくると時々やるのですが、一部のえんがわはハンドバーナーで正面を軽くあぶってみました。
ちなみにこのバーナー、うちの兄貴の結婚式で、引き出物のカタログに載っていたやつです。
今時の引き出物はなんでもありですな。

バーナー

そんなこんなで完成。
もみじおろしやネギを載せたやつが彩り的にも良いアクセントになりました。

にしても多いっすねえ。
その数10貫。
すばらしい、これを店で食ったらいくらになるんだろう。
2貫100円のくるくる寿司屋で食ったら、なんと500円!
……え? 500円?
ええと……、ああ、まあ、あれです。
鮮度とか、雰囲気とか、んーと、そういうあれで、あれなんです。

そう自分に言い聞かせながら食してみました。
感想ですが……、えんがわって、やっぱ1、2貫食ってうまいもんですね。
こう何個もえんがわの寿司ばっかり食ってると、どうあがこうが胃にもたれます。
というかこんなに脂っぽかったっけ? 口の中がでろっています、かなりのもんです。
そんな時もみじおろしとネギの清涼感のすばらしいこと、すばらしいこと。
しまいにはもみじおろしだけでビールを飲んでいました。
えんがわ、いらないじゃん。

そんなわけで、やっぱり脂モノが胃にこたえるお年頃。
脂っこいものはほどほどにという教訓を得た日曜日でした。


そういえば酢飯を作っていて、ふと懐かしい気分になりました。
はてなんでだろうと思い出していて気がついたのが、実家でよく作っていた手巻き寿司です。
今振り返ると、うちのかーちゃんがメシ作るの面倒な時の献立だったんじゃなかろうか、とオトナ的邪推をしちゃったりするのですが、我が家では何ヶ月かに1回くらい、「手巻きの日」がありました。

あれは子供心に楽しかったですね。
自分の裁量で味を決めれる。
自分のさじ加減でとんでもないうまい物体を作れる。
そんな喜びがありました。

具材の用意をする母親の傍らで酢飯の準備をするのが子の仕事でした。
思えばあれがはじめて料理に触れた瞬間だったのかもしれませんね。
さすがに一人暮らしですと、手巻き寿司を作る機会なんてないので、とんとご無沙汰しておりました。
今回偶然酢飯を作る機会が来て、ふと懐かしくなりました。
たまには、手巻きでも食べに、実家に顔だそっかな。

2007年08月21日

4コマまむが vol20 -裏切りの槍-

裏切りの槍

人は大きな力を持つと、野心が芽生えるもの。
なのでたやすく自分との立場を逆転するような力を分け与えちゃだめです。

例えばとある王様がホームレス暮らしを体験してみたいと、乞食に権力と財産を全部貸してしまったら、いざ元の立場に戻ろうとしたときに、乞食は王様を裏切り、牢獄にいれたりしちゃったりします。
だって、一度うまい目にあうと、それを手放したくなくなるのが人情というものです。

あと、かいがいしく介護してくれる娘夫婦に、感謝の気持ちを込めて早めに土地と財産を譲る遺言状を書いてしまうと、多分次の日あたりに農薬入りのお茶が出されたりします。
恐ろしいですね、怖いですね。
なので遺言状は死ぬ直前まで、「まだ他の人に譲ることも考えているのよ、あたい」とにおわせる、これが死に際のテクニックです。

2007年08月24日

4コマまむが vol21 -程度の低いOS-

程度の低いOS

最近、新書などで割とよく、「なんちゃらのジョーク」みたいな本を見かけるのですが、これが結構面白くて見かけるたびに買っていたりします。
で、そういった本の中で、PCに関するジョークで次のようなものがありました。
(ちょっと出典を失念してしまいまして……、多分早坂隆さんの本だと思うのですが……。引用できないのでうろ覚えのものを載せます、わかり次第出典を付記いたします)。

「自動車業界の人とPC業界の人が食事をしていた。
PC業界の人は自動車をこう揶揄した。
『クルマが生まれてもう100年くらいたつけれど、最高速度ってせいぜい倍くらいにしか進歩していないよね。それに比べるとPCの処理能力はこの世に誕生して以来、ぐんぐんと進歩して、今では数百倍、数千倍の速さになっている。車産業はまるで進歩していないよね」
それを聴いた自動車業界の人はこう応じた、
「でもクルマはPCと違って、1日何回も動かなくなったりしないけどね」


僕が始めてPCに触れたのが大学の頃なので、もうかれこれ10年近く前になるのですが(え! 10年!? もう大学時代からそんなにたったの!?)、その間PCもインフラもOSも、何もかもが恐ろしい勢いで進化し続けました。
1年前のものがもう古めかしく見えるような進化がそこにはあったのですが、唯一つまるで(といったら失礼なのかもしれませんが)進歩が見られないのが「安定性」ですね。
いくら最新のPCで作業していても、変な動作は必ず起こります。
開いてもいないファイルが削除できなかったり、突如データが上書き保存できなくなったり、ネットにつながらなくなったり、固まったり。

「PCってまあ、そんなもんだよね」と悟っている部分もあり、「Ctr+S」を頻繁に押しながら作業するのにすっかり慣れきっちゃっているのですが、これって本当は、変ですよね。
PCの動作をつかさどるOSなんて、「安定性」こそその役割のはずです。
これを先のジョークのように自動車で例えれば、突然ブレーキがきかなくなったり、ハンドルが回らなくなったりするようなもんです。
「本来そこがキモでしょ?」という部分がおざなりになっているコンニチのPC事情に若干辟易としてしまうわけです。

せっかくCPUにしろメモリにしろ高性能な商品が安く出回っているのだから、Windows2000くらいの機能で99%固まらず、さくさく動作するOSつくりゃあいいのに……。
高性能な部品と、高性能なアプリケーションがおさまるよう、高性能なOSを作ってみた結果、やっぱりオーバースペックでかたまっちまいますぜ、というのは、なんだかなあ……。

そういやVISTAもそうですが、最近Microsoftの出すアプリケーションってちょっと1本ネジが外れているような気がするのですが、どうなんでしょう?
Office2007のメニュー構成のひどさに、迷うことなく2000を再インストールしました。
IE7なんて、ファイアーフォックスにスレイプニル、ルナスケとはるかに優秀で使い勝手の良いブラウザが出回っている中で、なぜ真顔でリリースできるのかよくわかりませんし……。
ActiveXでFlashPlayerをいじめて、自分のところで出したがっているアクティブコンテンツソフト用のリーダーを主流にしようという戦略はよくわかりますが、それが実はMediaPlayerじゃなかろうかという話もあったりで……(なんでFlashPlayerがAcrobatReaderに勝てたのか、考えなかったのでしょうか?)。

ある会社がリリース時期から仕様、基礎技術まで何でもかんでも思うがままにできるのって、やっぱりダメなのかもしれませんね。
個人的には業界の統一規格があったほうが、良い部分は多いとは思うのですが……(開発・管理も楽でしょうしね。ウェブデザイナーなんかにとっては、「とりあえずIE6で見れればよい」という、なんとなく納得できちゃいそうなゆるい認識って、ありがたいはずですしね)。

というわけで、最近すこぶるPCの調子がよくないわたくしのグチでした。

2007年08月28日

4コマまむが vol22 -牛狂い-

牛狂い

僕は結構なビーフ大好きニンゲンなのですが、先の狂牛病騒ぎ以降、家では牛肉より豚肉を食べることが多くなりました。
無論、病気が怖いというわけではなく、価格がべらぼうに上がったからなんですね。
騒ぎの前はグラム100円で買えた木っ端肉が300円になったりすると、庶民的には「こりゃ参ったね」と買い控えるようになったわけです。

といっても最近ではすっかり価格も落ち着き、オーストラリアンビーフだろうがアメリカンビーフだろうが、気軽にショッピングバッグに入れられるようになりました(和牛は……、良いことがあった日とか……)。
でもやっぱり豚とか鳥が多いっすかねー。

これは食の傾向が変わったのもありますね。
20代前半まではメシといえば、「とにかく揚げたり炒めたりのこってり料理が食いたいぜ」といった感じでしたが、最近は「鳥のささ身をこうね、軽くあぶってわさび醤油でいただこうかしら、おほほ」みたいな感じになってきております。
豚肉なんかはさっと茹でて氷水に浸し、大根おろしにぽん酢をかけて食べると、ビールのあてに最高なんですよねえ、冷しゃぶ最高。

牛肉も冷しゃぶなんかおいしいのですが、それでも豚・鶏にくらべるとちと、肉の味が強いかなあ、やっぱ豚の方があっさりと食えるかなあ、なんて思えることが。
ふうむ、いいのか悪いのかよくわかりませんが、年をとるというのはそういうもんなのかもしれませんね。
肉の種類も牛・豚肉ならもも肉、鶏なら胸肉・ささみがメインに。
魚も含め赤身肉がしみじみおいしく感じられるようになりました。

僕の食欲の最盛期はやはり中高時代の、部活をやっていた頃ですが、この頃は毎日すき焼きが食べたい! というくらいに牛狂いでしたね(肉・脂・甘み。もうカロリーの塊ですね)。
ところがふと気がつくと、ここ何年か、すき焼き食ってないんです。
一時期の僕からすると、ずいぶんおとなしくなったものです。

食の傾向が変わった、というと、ここ最近めっきりごぶさたなのが牛丼。
学生時代は大いにお世話になったんですけど……。
週何度か行かないと我慢できなくなるくらいに。
最近はほとんど行ってないですねえー、ふうむ。
味は今でも嫌いじゃないと思うのですが……、たとえ行っても並盛り以上は食べられなくなっちゃいました、なさけねえ。

2007年08月30日

4コマまむが vol23 -17歳の地図-

17歳の地図

未だに栃木と群馬の位置を、どちらが右でどちらが左か、確信をもって答えられない鷲野です、こんにちは。

僕は割りとバイクなんかであちこち出かける方なのですが、地方の山奥なんかに行くと大概道に迷います。
「おや、今北向かっているはずなのに道路標識には南の方の地名が……」
「湖に向かっていたのに、聞いた事もない寺についてしまった」
「何? この湧き水」
みたいな。

途中で気がつくのはまだ良い方で、本格的な田舎になるとまともな道路標識などなく、地元の人が利用する大字っぽい地名が、キノコが生えそうな木板にふにゃりと書かれていたりすると「ちとやばいかも」なんて思ったり。

無論、国道や高速など、太い線に乗っていて迷うことはないですし、地図も持ち歩くので目的地のルートに戻ろうと思えばすぐに戻れるのですが……。
案外、「わざと」迷ってみるのも面白いものなんですね。

これは「若さ」に対しても言えることで、なんて話はむりくりな気もしますが、多分そうなのではと思います。
「自分」を決め打ちせず、わけのわからんルートに放り込むのは、本道から遠回りした分道路感がするどくなるんじゃないかなあと。

なんでまた突然そんなこと思いついたかというと、むかーし尾崎豊というポップミュージシャンが歌った「17歳の地図」という単語をネットで見かけたからなんですね。
もうタイトルからして青臭いのですよね、歌詞は知らないのですが、たぶん17歳の思い描く夢やら迷いやら、「地図なき未来」みたいな曲なのでは?

僕、実は今まで一度も、この歌手の歌を通しで聴いたことがないんです。
僕の青春の歌というと、もっぱらサイモン&ガーファンクルだったりビートルズだったりしたのですが(それはそれで青臭いのですが)、どうも尾崎豊の曲のどストレートな青臭さが鼻について聴く気が起きませんでした。

といっても世代がちょうどその頃だったため、同級生でどっぷりはまっている人たちはたっぷりいたので、街中の放送やカラオケなんかではちょろちょろ耳にする機会がありました。
で、いまさら思うのが、ああいった判りやすい青臭さって、ある種の「道標」として意味あるのかなあ、なんて。

人生ってひとつながりなので、自分の幼さや未熟さを、今ある自分の体温でしか測れないので、得てしてかつてあったはずの生々しさは感じられなくなっちゃうんですね。

それが、例えば本気で盗んだバイクで走り出しちゃった人とか、夜の校舎の窓ガラスを割ってみようなんて考えていた人なんかは、その頃を思い出しては赤面して己の青臭さに体を震わし恥ずかしがるのではないでしょうか。
「体験の一致」はある種の媒介を通した方が当然リアリティが生まれます。
そういう意味で青春の歌は青春の歌として享受する、「青春の触媒」を持たずその楽しみを逃していたのかなあ、と「17歳」から10年ちょいを経過した今、しみじみと思ったり。

2007年08月31日

4コマまむが vol24 -百獣の王-

百獣の王

あくびとかくしゃみって、出そうで出なかったり、仕事中で押さえなきゃいけないときって不愉快ですよね。
逆に言うと、あれだけ気持ちがすがすがしくなる行為、なんとかして人為的に行う機械とか発明されないもんですかね?
自動あくび機(ソニー)とか、くしゃみ発動機(ソニー)とか。

ところで常々思うのですが、百獣の王って、本当にライオンでいいのでしょうか?
個人的にはカバなんか、あの体躯と牙でガキっとやられたらライオンなんてひとたまりもないような気がするのですが……。
象やサイとかも明らかに強そうですしね、皮ちぎれそうにないし。
あとゴリラなんて見るからにやばそうです、皮が筋肉を押さえられないくらい隆起していますしね、あいつら逆らうとやばいでしょ。

一度、動物界も百獣の王について今一度相談しなおしたほうがいいような気がします。
ライオンってわりと、上の中くらいのような気がしてなりません。

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