4コマまむが vol28 -内藤VS亀田戦後の報道に思うこと-
ご覧になられていた方も多いかと思いますが、先日ボクシングの世界タイトルマッチ「内藤VS亀田戦」が行われました。
僕も職場のTVで見ていたのですが、結果は内藤勝利で終わりました。
個人的な心情としては、「ああいったクソなめた口をきくジャリは、一度こてんぱにやられて痛い目にあえば良いのにね」と思っていたため、少なからず望ましい結果に終わったなあ、といった感想をもっていました。
が、翌日以降の報道に、少々興ざめしていたりします。
どの新聞やニュース、情報番組、果てはネットのコミュニティサイトを見てみても一様に、「最低の反則試合」「ボクシング界から追放しろ」「親の育て方が悪い」と擁護する意見はほぼ皆無。
ここぞとばかりに芸能人やら知識人やらが「一度親から離れたほうが良い」「子どもの育て方が悪い」「周りの持ち上げていた人たちが悪い」と、「(反則も多く)試合に負けた」という薄っぺらい根拠をたよりにすき放題の言い草。
もちろん、先にも書いたとおり、僕も個人的な心情として、メディアを通じてみてきた亀田一家の言動や今までのキャリア、うざったい父親の行動、それに今回の試合内容にはやはり気分の悪いものを感じます。
でもそれはただの個人的な感情にすぎません。
そもそも亀田家の人々が本当にダメ臭い人間なのか、今までのキャリアが本当にでたらめなのか、僕に知りようがありませんので、しっかりとした根拠ある意見なんて言えるはずもありません。
メディアの存在意義は、個人が持ちうる情報と心情の枠を超えて、平等でありえるからではないでしょうか。
が、どうも今回のように、メディアを通じた情報しか根拠を持たない人間や、当のメディアがこうもすき放題に個人を叩いているのに薄ら寒いものを感じます。
メディアがひとたびある種の価値観に傾くと、そこに生まれるのは(善悪問わず)誰かの「被害」です。
メディアは常々、自身の暴力性を忘れます。
例えば松本サリン事件の時、薬物を持っていたというだけで犯人扱いされ、総批判された方がいらっしゃいましたが、真犯人はご承知のとおり某団体でした。
それが明らかになった際、メディアはいっせいに犯人扱いされた方へ謝罪をしていました。
無論、ニセ報道をされてしまった人の権威の回復も、傷ついた気持ちも、訂正報道が完全に治してくれるわけではありません。
そこには厳然とした「被害」が存在するのです。
最近ですと不二家の不祥事の際、特ダネを拾おうと勇み足をした放送局が、ニセの情報をたてに堂々と捏造報道をしていましたが、これも後になって平謝りの訂正放送がありました。
これも当然、被害を受けた人がいるわけです。
あの事件の裏には、不祥事とまったく関係のない、懸命に毎日を送る普通の社員とその家族、またその家族の関係者や親類がたくさんいるわけです。
その人たちが失ったものの大きさと、特ダネ報道の価値って、イコールではないと思います。
(一度、神楽坂の不二家がどれだけ苦労して再開にこぎつけたか、あの報道に関わった関係者は取材すべきですね)
もちろん会社が起こした不祥事は許されるわけではなく、またそれによって何らかの被害をこうむった方は堂々と被害を主張すればいいわけです。
報道に平等性と正義があるなら、会社の体制をありのまま社会に示すことと、被害をこうむった人々の小さな声を拾い上げることのはずです。
で、どうも個人的に、これらメディアのニセ報道と亀田報道にどこかしら共通しているように思えるんですね。
繰り返しになりますが、ある段階を越えたときに起きる、報道の「勧善懲悪劇」ともいえる、自分たちの作り上げたイメージを拡大させるためだけに新しい情報を投下しようとする姿勢が嫌なんですね。
「正義はこちらにあるんだから、悪をどうけちょんけちょんにしてもいいよね」という報道姿勢が気持ち悪いんです。
おそらく、こうもメディアが騒ぎ立て、視聴者からこれだけのクレームがきていると公表されちゃっていると、明日のJBCの決定では亀田一家の父親はライセンスの失効、兄弟はライセンスの一時停止くらいの厳しい処分は免れないでしょうね。
そりゃそうです、人気商売ですし、厳しい判断をしなかったらボクシングファンやクレーマーにどれだけ突き上げられることか。
でももしその通りの判断をされれば、それを促したのは明らかに「世論が味方してくれていると考え一方的な放送をしているメディア」の報道が原因ですね。
結果だけみれば、「メディアがある個人の生活を地に叩き落した」とみてよいのではないでしょうか。
亀田家のキャラクターの影に隠れて、そういったメディアの本質的な「力」がどうも無視されているようで、薄ら寒い気持ちになりました。
ついでに、僕はどうも今回内藤選手が言っている「国民のために」というフレーズのセンスのなさがどうにも気持ちが悪いんですね。
そもそも「国民が――」だの「日本人は――」だの、何の根拠もなく全体論的なもの言いをする人間が大嫌いなのですが、今回のこの試合を行うにあたって、なぜ「国民全体」が応援してくれていると判断できたのでしょうか。
確かに亀田一家の低レベルなもの言いやこれまでの胡散臭いキャリア、バックについているであろうぬらぬらとした金と組織のにおいは十二分に人を不愉快にさせるものがあります。
が、「国民」というフレーズは大げさすぎます。
何より、少なからずいるはずの「亀田ファン」への冒涜です。
まるで自分が正義だと言わんばかりのもの言いは、たとえどんな条件下にあったとしても、フェアな立場で戦うスポーツ選手が言っていいことではありません(例えば巨人の選手が阪神戦の前に「国民のために勝ちます」なんて言っていいわけありません。殺されちゃいます)。
試合後のインタビューなどみる限り、普通の、ちゃんとした大人のように見てとれますが(もちろん僕は内藤選手とその家族について、テレビの情報以外微塵も知らないので、どういう人となりかなんてわかるはずもないのですが)、このフレーズはやっぱりどうもなあ、と思っちゃいます。
しかも嫌なことに、このフレーズをたてにとって「国民の期待どおりになった」「亀田一家は国民から見放された」「正しい大人が世間を理解していないジャリをこてんぱんにやっつけた」的なニュアンスの報道がされていることですね。
こういった強い言葉は、大体次に自身へ跳ね返ってきちゃうのも、悲しいですね。
おそらく次戦などで負けた際報道されるのは、「国民の期待を裏切った」という内容でしょう。
(というか、この「国民の」というフレーズをこうも広げちゃったのも、当人の意思ではなくメディアなのかもしれませんね。なんとなく言った一言がいつの間にか尾ひれがついて、みたいな。ほんと、情報ってちゃんと耳をそばだてて受け取らないととんでもない勘違いをしちゃいそうで怖いですね)
ところで、ネットの掲示板などでは予想通り、もうどうしようもないくらいに一方的な亀田叩きの展開があちこちで見受けられますが、万が一これが「国民の意思」だなんて思っている人がいたら、そりゃ浅はか過ぎます。
ネットの掲示板なんて、そもそもほめる意見が出しづらいもの。
仮に冷静な意見を述べたり亀田家の擁護的な意見を述べても自演だ関係者だと非難されるだけ。
コミュニケーションのやり方、仕組みによっても変わってきますが、基本掲示板などは議論をする場ではなく、情報にのっておのおのの意見をただ流していく場なので、ある種の出来上がった意見や価値観に対しては変更や否定がききにくいんですよね。
今はとにかく情報を膨らませるため、メディアもネットのコミュニケーションサイトでも必死に敵探しをしている最中。
やれTBSだ、やれスポンサーだ、やれ教育方針だと、もうなんでもいいから結びつけて原因にして袋叩きにしましょう、という流れは変わりそうにありませんね。
どうもこう、「切腹! 切腹!」なんてしたり顔で人の死を促しているようなチンケな意見がはびこっているのがどうも、趣味が悪いように思えるんですが、皆さんこういった報道とか楽しめるんすかね?
(「自分が言ったのだから責任をもて」なんていう話もありますが、責任を取る取らないの影響を受けるのはメディアでも視聴者でもなく、当事者の問題であれこれ口をはさむようなレベルのもんでもないでしょうに)
んー、というか、そもそも視聴率的にみても、多くて「国民」の4分の1しかみていない試合に、国民の総意なんてあるのかという話なんですが。
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