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4コマ漫画 アーカイブ

2007年08月16日

4コマまむが vol18 -クッキング-

クッキング

あたくし日本人なので、やっぱり和食が大好きだったりします。
ごはんにおみおつけ、漬物、干物をそろえたら、もう何も要りません。
焼きたてのアジの干物に箸を突き立てて、シャクシャクっと皮を割き、ぷっくりとしたほくほくの身を炊き立てご飯にのせ、ぱくり。
たまりませんね。

そういや「日本人なら和食」という言葉はよく聞きますが、他の国ではどうなんでしょう?
「アメリカ人ならやっぱ米食だよね」とかって思ってるんでしょうか?
毎日毎日、Tボーンステーキにフライドポテト、ハンバーガー。
ピザ、コーラ、ゲテモノケーキをぱくついては、「これが僕らのソウルフードだよねえ」なんて言ってるのかしら?
たとえアメリカ人でも、数日でおなかを壊してしまいそうなのですが……。
というか飽きそうですけどね、毎日マクドナルド的生活だと。

無論僕も、色んな料理が世の中に出回っている時代なので、毎日和食というのもあれだなあということで中華だったりイタリアンだったりを口にするのですが……。
ただ、ご飯と味噌汁以外食べてはいけない状況でも、特に耐えられないことはないかと。
和食は淡白だから飽きが来にくいのかしら?

2007年08月17日

4コマまむが vol19 -ニートじゃない、自宅警備員だ-

ニートじゃない、自宅警備員だ

最近ちらほらと、主にネットで見かける言葉で「自宅警備員」というやつがあります。
これ、はじめ聞いた時ピンとこなかったので調べてみたら、ニートのことなんですね。
なかなかセンスの良い名付け方ですね。
女の「家事見習い」があるなら、男の「自宅警備員」だってあってもいいのかもしれません。
小型犬程度の番力もあるかどうか疑わしいですが。

ところでニートだか自宅警備員だか知りませんが、メディアで時々見かける彼らが妙に自信たっぷりだったりするのが、いつ見てもおもしろいなあ、と。
「働くなんてバカみたい」みたいなことを20~30歳くらいのいいオトナが言っていると、シュールなジョークのようにも見えます。

当然浮かんでくる疑問として、「働かなくて、お金どうすんの?」というのがありますが、顔を見ればジゴロになれる風体とも思えず、デイトレードで稼いでいるような気配もありません。
となると、答えはおのずと「親に依存している」ということになります。
うーん、親のアガペー力を頼って生きている人間が、なんで自信をもてるのか、普通に考えると頭が混乱してしまいます。

が、うがった目で見てみると、「オレが生きていける=親の経済力・包容力が優れている=親はすばらしい」という帰納的な発想から親を敬っているとも見て取れます。
おそらく彼らは、メディアに向けては「働くなんて……」など強がっていても、自分を保護(飼育)してくれている親には牙を向けないはずです(本当か?)。
なんせ居なくなると、生きていけませんからね。

これは我が国がいつの間にか失ってしまった尊い道徳心、「親を敬う気持ち」の体現であり、自宅警備員とはある意味「子どもの理想的な姿」と言えるかもしれません。
すばらしいですね、自分が親ならすぐダンボールに詰めてハローワークか中国の肉まん屋に送り付けますが。

ところで「ニートは現在の闇で……」、みたいな言われ方をしますが、「働かない人間」なんて昔っからいたような気も。
近いところだとヒッピーやらフーテンやら、今のニート的なポジションの人間はごろごろ居たはずです。
むしろ完全失業率5%程度、という国民ほぼ労働者時代というのは、おそらく過去の歴史からして稀有な状態なのでは、なんて想像します(東京。
多分、現在において「ニート」という立場がものめずらしい、ある種象徴的(経済的成長に対する虚無だったり)なため、やたらと取り上げられているのかも。

んー、だからといって「今の若者は」の十把ひとからげにされちゃうのも、あまり気持ちのよいことではないので、自宅警備の方々はぜひ違うところも警備するようになってほしいですね。

2007年08月21日

4コマまむが vol20 -裏切りの槍-

裏切りの槍

人は大きな力を持つと、野心が芽生えるもの。
なのでたやすく自分との立場を逆転するような力を分け与えちゃだめです。

例えばとある王様がホームレス暮らしを体験してみたいと、乞食に権力と財産を全部貸してしまったら、いざ元の立場に戻ろうとしたときに、乞食は王様を裏切り、牢獄にいれたりしちゃったりします。
だって、一度うまい目にあうと、それを手放したくなくなるのが人情というものです。

あと、かいがいしく介護してくれる娘夫婦に、感謝の気持ちを込めて早めに土地と財産を譲る遺言状を書いてしまうと、多分次の日あたりに農薬入りのお茶が出されたりします。
恐ろしいですね、怖いですね。
なので遺言状は死ぬ直前まで、「まだ他の人に譲ることも考えているのよ、あたい」とにおわせる、これが死に際のテクニックです。

2007年08月24日

4コマまむが vol21 -程度の低いOS-

程度の低いOS

最近、新書などで割とよく、「なんちゃらのジョーク」みたいな本を見かけるのですが、これが結構面白くて見かけるたびに買っていたりします。
で、そういった本の中で、PCに関するジョークで次のようなものがありました。
(ちょっと出典を失念してしまいまして……、多分早坂隆さんの本だと思うのですが……。引用できないのでうろ覚えのものを載せます、わかり次第出典を付記いたします)。

「自動車業界の人とPC業界の人が食事をしていた。
PC業界の人は自動車をこう揶揄した。
『クルマが生まれてもう100年くらいたつけれど、最高速度ってせいぜい倍くらいにしか進歩していないよね。それに比べるとPCの処理能力はこの世に誕生して以来、ぐんぐんと進歩して、今では数百倍、数千倍の速さになっている。車産業はまるで進歩していないよね」
それを聴いた自動車業界の人はこう応じた、
「でもクルマはPCと違って、1日何回も動かなくなったりしないけどね」


僕が始めてPCに触れたのが大学の頃なので、もうかれこれ10年近く前になるのですが(え! 10年!? もう大学時代からそんなにたったの!?)、その間PCもインフラもOSも、何もかもが恐ろしい勢いで進化し続けました。
1年前のものがもう古めかしく見えるような進化がそこにはあったのですが、唯一つまるで(といったら失礼なのかもしれませんが)進歩が見られないのが「安定性」ですね。
いくら最新のPCで作業していても、変な動作は必ず起こります。
開いてもいないファイルが削除できなかったり、突如データが上書き保存できなくなったり、ネットにつながらなくなったり、固まったり。

「PCってまあ、そんなもんだよね」と悟っている部分もあり、「Ctr+S」を頻繁に押しながら作業するのにすっかり慣れきっちゃっているのですが、これって本当は、変ですよね。
PCの動作をつかさどるOSなんて、「安定性」こそその役割のはずです。
これを先のジョークのように自動車で例えれば、突然ブレーキがきかなくなったり、ハンドルが回らなくなったりするようなもんです。
「本来そこがキモでしょ?」という部分がおざなりになっているコンニチのPC事情に若干辟易としてしまうわけです。

せっかくCPUにしろメモリにしろ高性能な商品が安く出回っているのだから、Windows2000くらいの機能で99%固まらず、さくさく動作するOSつくりゃあいいのに……。
高性能な部品と、高性能なアプリケーションがおさまるよう、高性能なOSを作ってみた結果、やっぱりオーバースペックでかたまっちまいますぜ、というのは、なんだかなあ……。

そういやVISTAもそうですが、最近Microsoftの出すアプリケーションってちょっと1本ネジが外れているような気がするのですが、どうなんでしょう?
Office2007のメニュー構成のひどさに、迷うことなく2000を再インストールしました。
IE7なんて、ファイアーフォックスにスレイプニル、ルナスケとはるかに優秀で使い勝手の良いブラウザが出回っている中で、なぜ真顔でリリースできるのかよくわかりませんし……。
ActiveXでFlashPlayerをいじめて、自分のところで出したがっているアクティブコンテンツソフト用のリーダーを主流にしようという戦略はよくわかりますが、それが実はMediaPlayerじゃなかろうかという話もあったりで……(なんでFlashPlayerがAcrobatReaderに勝てたのか、考えなかったのでしょうか?)。

ある会社がリリース時期から仕様、基礎技術まで何でもかんでも思うがままにできるのって、やっぱりダメなのかもしれませんね。
個人的には業界の統一規格があったほうが、良い部分は多いとは思うのですが……(開発・管理も楽でしょうしね。ウェブデザイナーなんかにとっては、「とりあえずIE6で見れればよい」という、なんとなく納得できちゃいそうなゆるい認識って、ありがたいはずですしね)。

というわけで、最近すこぶるPCの調子がよくないわたくしのグチでした。

2007年08月28日

4コマまむが vol22 -牛狂い-

牛狂い

僕は結構なビーフ大好きニンゲンなのですが、先の狂牛病騒ぎ以降、家では牛肉より豚肉を食べることが多くなりました。
無論、病気が怖いというわけではなく、価格がべらぼうに上がったからなんですね。
騒ぎの前はグラム100円で買えた木っ端肉が300円になったりすると、庶民的には「こりゃ参ったね」と買い控えるようになったわけです。

といっても最近ではすっかり価格も落ち着き、オーストラリアンビーフだろうがアメリカンビーフだろうが、気軽にショッピングバッグに入れられるようになりました(和牛は……、良いことがあった日とか……)。
でもやっぱり豚とか鳥が多いっすかねー。

これは食の傾向が変わったのもありますね。
20代前半まではメシといえば、「とにかく揚げたり炒めたりのこってり料理が食いたいぜ」といった感じでしたが、最近は「鳥のささ身をこうね、軽くあぶってわさび醤油でいただこうかしら、おほほ」みたいな感じになってきております。
豚肉なんかはさっと茹でて氷水に浸し、大根おろしにぽん酢をかけて食べると、ビールのあてに最高なんですよねえ、冷しゃぶ最高。

牛肉も冷しゃぶなんかおいしいのですが、それでも豚・鶏にくらべるとちと、肉の味が強いかなあ、やっぱ豚の方があっさりと食えるかなあ、なんて思えることが。
ふうむ、いいのか悪いのかよくわかりませんが、年をとるというのはそういうもんなのかもしれませんね。
肉の種類も牛・豚肉ならもも肉、鶏なら胸肉・ささみがメインに。
魚も含め赤身肉がしみじみおいしく感じられるようになりました。

僕の食欲の最盛期はやはり中高時代の、部活をやっていた頃ですが、この頃は毎日すき焼きが食べたい! というくらいに牛狂いでしたね(肉・脂・甘み。もうカロリーの塊ですね)。
ところがふと気がつくと、ここ何年か、すき焼き食ってないんです。
一時期の僕からすると、ずいぶんおとなしくなったものです。

食の傾向が変わった、というと、ここ最近めっきりごぶさたなのが牛丼。
学生時代は大いにお世話になったんですけど……。
週何度か行かないと我慢できなくなるくらいに。
最近はほとんど行ってないですねえー、ふうむ。
味は今でも嫌いじゃないと思うのですが……、たとえ行っても並盛り以上は食べられなくなっちゃいました、なさけねえ。

2007年08月30日

4コマまむが vol23 -17歳の地図-

17歳の地図

未だに栃木と群馬の位置を、どちらが右でどちらが左か、確信をもって答えられない鷲野です、こんにちは。

僕は割りとバイクなんかであちこち出かける方なのですが、地方の山奥なんかに行くと大概道に迷います。
「おや、今北向かっているはずなのに道路標識には南の方の地名が……」
「湖に向かっていたのに、聞いた事もない寺についてしまった」
「何? この湧き水」
みたいな。

途中で気がつくのはまだ良い方で、本格的な田舎になるとまともな道路標識などなく、地元の人が利用する大字っぽい地名が、キノコが生えそうな木板にふにゃりと書かれていたりすると「ちとやばいかも」なんて思ったり。

無論、国道や高速など、太い線に乗っていて迷うことはないですし、地図も持ち歩くので目的地のルートに戻ろうと思えばすぐに戻れるのですが……。
案外、「わざと」迷ってみるのも面白いものなんですね。

これは「若さ」に対しても言えることで、なんて話はむりくりな気もしますが、多分そうなのではと思います。
「自分」を決め打ちせず、わけのわからんルートに放り込むのは、本道から遠回りした分道路感がするどくなるんじゃないかなあと。

なんでまた突然そんなこと思いついたかというと、むかーし尾崎豊というポップミュージシャンが歌った「17歳の地図」という単語をネットで見かけたからなんですね。
もうタイトルからして青臭いのですよね、歌詞は知らないのですが、たぶん17歳の思い描く夢やら迷いやら、「地図なき未来」みたいな曲なのでは?

僕、実は今まで一度も、この歌手の歌を通しで聴いたことがないんです。
僕の青春の歌というと、もっぱらサイモン&ガーファンクルだったりビートルズだったりしたのですが(それはそれで青臭いのですが)、どうも尾崎豊の曲のどストレートな青臭さが鼻について聴く気が起きませんでした。

といっても世代がちょうどその頃だったため、同級生でどっぷりはまっている人たちはたっぷりいたので、街中の放送やカラオケなんかではちょろちょろ耳にする機会がありました。
で、いまさら思うのが、ああいった判りやすい青臭さって、ある種の「道標」として意味あるのかなあ、なんて。

人生ってひとつながりなので、自分の幼さや未熟さを、今ある自分の体温でしか測れないので、得てしてかつてあったはずの生々しさは感じられなくなっちゃうんですね。

それが、例えば本気で盗んだバイクで走り出しちゃった人とか、夜の校舎の窓ガラスを割ってみようなんて考えていた人なんかは、その頃を思い出しては赤面して己の青臭さに体を震わし恥ずかしがるのではないでしょうか。
「体験の一致」はある種の媒介を通した方が当然リアリティが生まれます。
そういう意味で青春の歌は青春の歌として享受する、「青春の触媒」を持たずその楽しみを逃していたのかなあ、と「17歳」から10年ちょいを経過した今、しみじみと思ったり。

2007年08月31日

4コマまむが vol24 -百獣の王-

百獣の王

あくびとかくしゃみって、出そうで出なかったり、仕事中で押さえなきゃいけないときって不愉快ですよね。
逆に言うと、あれだけ気持ちがすがすがしくなる行為、なんとかして人為的に行う機械とか発明されないもんですかね?
自動あくび機(ソニー)とか、くしゃみ発動機(ソニー)とか。

ところで常々思うのですが、百獣の王って、本当にライオンでいいのでしょうか?
個人的にはカバなんか、あの体躯と牙でガキっとやられたらライオンなんてひとたまりもないような気がするのですが……。
象やサイとかも明らかに強そうですしね、皮ちぎれそうにないし。
あとゴリラなんて見るからにやばそうです、皮が筋肉を押さえられないくらい隆起していますしね、あいつら逆らうとやばいでしょ。

一度、動物界も百獣の王について今一度相談しなおしたほうがいいような気がします。
ライオンってわりと、上の中くらいのような気がしてなりません。

2007年09月02日

4コマまむが vol25 -We love Wii-

We love Wii

先日、ふとしたきっかけでWiiなるものを購入いたしました。
Wiiというのは、テレビゲームの一種で、リモートコントローラーを使いプレイする、次世代型ゲーム機と位置付けられているものです。

久しくテレビゲームから離れた生活をしていましたが、やってみると案外おもしろいですね。
Wii sportsというやつですが、操作が単純で直観的なのがいいです。
最近の電化製品はあれこれ機能が多すぎて、ユーザビリティのよろしくないのが多いような気がします。

「見たまま」の操作感で、ある程度マニュアルなしであるで取り掛かれるようなもんじゃないと、ストレス解消が逆にストレスになっちゃいます。
あまりやる時間はないような気もしますが、ちとライトな運動もかねてちらちらとやってみようかと思う次第です。

そういえばヘッダーを秋らしくしてみました。
紅葉、いいですね、あれだけ赤々しい風景なのに心が落ち着くというのは、自然と季節が持つ力なんでしょうね。

人物の手に持っている黄色い葉は初め、実物ではなく背景を葉っぱの形にして騙し絵風にしようかと思ったのですが、回りの葉っぱの位置を調整するのが面倒で普通に葉をもたせて見ました。

しかしこういう絵って、割と描くの面倒ですよね。
ちまちました絵を描くのは嫌いではありませんが、同じ色を重ねていくのはどうにも区別つけにくいですね。
奥行きに合わせてレイヤーを分けて、それぞれ「複製→ぼかし(ガウス)→ロック→グラデor明るさ(墨一色)→追い焼き・オーバーレイを不透明度調整」しながら影をつけたりしたのですが、イマイチですね。
なんか良い描き分け方ってないものかいな?

そういえば紅葉といえば、昨年リフレッシュ休暇をとって地元の九州までバイクで帰ったのですが、その時耶馬溪の「一目八景」に行ってきたのですが、えもいわれぬ美しさにほんとうに心打たれました。
今年もどこか風光明媚なところに行きたいものです。

2007年09月05日

4コマまむが vol26 -鳩胸-

鳩胸

ハトが哺乳類だったら、と想像すると、実にいけないイメージが沸いてくるのが人の情というもの。

本当に、ハトが鳥類でよかったですよね。
間違えて哺乳類として進化していたら、街角の公園や駅前は花街になっておりました。
うかうか子連れの親御さんは電車にも乗れません。

「ママー、あの鳥さん、胸が――」
「雅夫! そんなの見ちゃいけません!」
みたいな。

でもよくよく考えたら、鳥類ってみんな、鳩胸ですね。
胸張ってないと空飛べませんし。
なんで昔の人は「鳥胸」と呼ばず、ハトだけ注視して胸の冠につけたのでしょうか。
馴染み深い鳥、というと雀や鶏、カラスとかの方が日常で目にしたような気がするのですが……。

んー、ただ、確かにハトのあの、つるっとした感じは判りやすいですよね。
シルエットにするとあからさまに胸が出ているのがわかります。
というかシルエットにしやすい、輪郭をとりやすい体格をしています。

「鳩サブレ」のメーカーもハトをシンボルにしようと思ったからよかったものの、万が一社長命令とかでダチョウサブレなんてものにしていたら大変だったでしょう。
形はややこしいし、サブレを焼いても首が細いから片っ端から型崩れしていって現場も大変です。
鳩サブレのメーカーの社長が余計な発想を持たなかったのが功を奏したのでしょう。
得てしてトップダウンとは危険がつきものということですね。
なんの話でしたっけ。

2007年09月25日

4コマまむが vol27 -ジャパニーズ・ビジネスマン-

ジャパニーズ・ビジネスマン

どうも仕事が立て込み更新が滞っている、と言い訳しながら、家に帰りビールかっくらうともう何もする気しないよね、本でも読んでだらだらしますかね、ぶへーとダメ中年に突入しつつあるのは鷲野です、こんばんは。

忙しさを言い訳にして何かをサボるというのは実に情けないことで、「時間がないなら、自分で作るものだ」というのが社会人たるものの基本中の基本でありますが……。
こと自サイトの更新とかって真っ先にないがしろにされがちですよねえ。
いえ、仕事じゃなく、人様に義理立てしてやることじゃないことこそ、「自分に義理立て」してしゃんとやるべきですよね。
「自分を立てられる」のがオトナってもんです、ふうむ。

しかしあれです、おしなべて「カローシ・マンインデンシャ・ワーカホリック」と、やたらと忙しいイメージのあるジャパニーズ・ビジネスマン。
でも忙しい忙しいって言ってるけれど、何に比べて忙しいのか実はあまり議論にならなかったり。
最近ではアメリカの富裕層なんかの方が、実はどこの国の労働者よりも労働時間が長い、なんて話も聴きますし。

で、先日、ちと本屋をぶらぶらしていると、「びっくり先進国ドイツ」というちょっと気になるタイトルの文庫本を見つけたので買ってきたのです。
それを読んでみたところ、日本と同じく工業先進国のイメージのあるドイツですが、こと労働に対してはわりとこう、ゆるいところがあるようで。
やったら長い有給とか、短い労働時間なんか、こう、うらやましい感もあります。

ただそのためか、平均年収は日本の465万円(1998年調べ)に対して約338万円(2002年調べ)と結構な差が。
一時期「年収300万円時代がどうちゃら」みたいな話が盛り上がっていましたが、普通に平均がそのくらいなんですね、ジャーマン。

しかも独身者は所得の40%ちょいが税金と社会保険料として差し引かれるのだとか。
明細みないとよくわかりませんが、自分の給料が40%天引きされたら、ちときついっすね。
誰でもいいから、なんならメスのチンパンジーでいいから結婚しちゃえ、と思えてきますよね、ほんと。

それにしても、日本で売られている工業製品の価格と向こうでの価格にそう差がないことを考えると、大して物価に差がないように思える日本とドイツでこう収入に差があると、結構きついんじゃなかろうか、なんて思ったりもするのですが……。
しかしまあヨーロッパって平気で大学まで学費免除なんてこともありますし(ドイツもそうでしたっけ?)、社会保障や住宅事情なんかも考えると、案外給与から生活費差し引いた残高って変わらないような気もしますね。

ええとなんの話だっけか?
ああ、あれです、「ゆとり」です、「ゆとり」。
大体ビジネスやらケーザイという話になると、必ずセットで登場する「ココロのゆとり」とか「ほんとうの豊かさ」とかっていう、アレ。

「じゃああれですか!? 私たち企業戦士はほんとうの豊かさを手に入れていないということですか!? それは聞き捨てならないのでその理由を報告書にまとめてFAX入れておいてください。あ、お名刺いただいてよろしいですか?」なんて、社会人の皆さまは激昂しつつ人脈を増やしそうですが……(だいたい「ココロのユタカサ」みたいなあやふやな精神論をとうとうと語って悩んで楽しんでいる人々って、大体余裕かまして生きているイメージがあるのですが、どうなんでしょう? オーラってなんじゃい。コタツに根っころがりせんべいかじりながらワイドショーみて「日本ってほんと、ぎすぎすしてるわねえ」なんて言ってんじゃねえよ。ってこれは偏見?)

しかし一方でほとんど取ることのない有給とか、残業とか、なんだかんだで自主的に家に持ち帰ってやっている仕事とか、振り返ってみるともっと有意義なことに時間とれんじゃねえの? と思うのも確か。
んー、で、結局何が言いたいかといいますと、あたくしの、まだとっていない夏休みはいつになったらとれるのかなー、どうすっかなー、ということであります。

いかん、もう秋だ、夏にテントとシュラフかついでぶらぶらするはずだったのに。
ああ、寒くなる前に長野あたりの高原に行きたい……。
そんなことをおもんぱかりながら、火曜朝イチに片付けておきたい仕事のデータを開いたは良いけれどなんとなく作業に取り掛からずこんなことを書いているあたくしでした。

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