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コミック アーカイブ

2007年03月24日

引越し

引越し

というわけで、まだ色々不備がありますが、とりあえず新サイトをオープン、ということで……。
ヘッダーメニューはまだほとんどリンク切れです、とりあえず旧サイトはまだ残しておりますので、ご用命の方はこちらからアクセスいただけましたら幸いです。

にしても、マン○リーレオパ○スって結局、どうなんでしょう。
周りに住んでいる人がいないからよくわかりませんが……。

でも敷金・礼金無いって、いいことですね。
というか「礼金」ってなんじゃらほい、っていつも思ったりします。
客がお礼に金払うって、どんな商売じゃい、と。
東京の場合、さらに住宅紹介所みたいなとこで物件探しをすると、そちらにもお礼金を払わないといけないケースまであり、なおさらいかがなものかと思っちゃいますね。

そういや結婚を決めた藤原紀香。
新居はもちろんマン○リーなんでしょうね。
で、ちょめちょめなわけですよ、夢中でがんばる君にエールを送ったりしながら。
でも丸聞こえなんですね、なんせ壁が薄いから。

隣に住む人はある意味おいしいかもしれませんね。
録音してポッドキャストかなんかで流せばちょっとした小遣い稼ぎができるかもしれません。
いい時代になったものです。

ネギ

ネギ

上のようなことを描いておきながら申し訳ないのですが、実はそんなに白ネギが好きではありません。
いえ、嫌いじゃないですし、料理に入っていたら喜んで食べるのですが、どちらかというと小口ネギの方が好きなんですね。

僕は大分出身なのですが、地元では普通「ネギ」というと小口ネギの方を示します。
味噌汁に入れるのも、かつおのたたきにかけるのも、ラーメンに入れるのも全部小口ネギです。
特にラーメンは、これは固定観念かもしれませんが、あの緑のネギが入って初めてひとつの作品になるとさえ思うのです。
ところが東京では時々、とんこつラーメンであるにもかかわらず、白ネギが入っていたりするんですね。
そのため九州出身者としては「こりゃなんやねん、とんこつラーメンなめたらあかんぜよ」と思っちゃうんです。

そういえば、とんこつなのに太麺なんてのも見かけますが、これも「あれれ?」と思っちゃいますね。
とんこつといえば細めんだべさ、というのが九州人なのです。
それが九州男児ってもんじゃん。

で、白ネギが入った太麺とんこつラーメンを食べてみるとですね、おいしいんですね。
まあ結局、うまけりゃなんでもいいってことですね。

シート・オブ・シルバー

シルバー

何か、誰かに話したことがあるような記憶がありますが、僕、「シルバーシート」というのがあまり好きではありません。

「老人に席を譲るのがマナーで当然」なのであれば、わざわざ「ここの席に関しては譲りましょう」なんてのは変な話です。
逆に言えば「そこの席以外では老人だろうがけが人だろうが譲らなくていいのか?」なんて思ったり。
なんだか天邪鬼的な考えかもしれませんが、こういった押し付けがましい倫理観って、どうしても鼻につくんですね。

たとえば車で道路を走っていると、交通標識で「注意一秒、ケガ一生」みたいなことが描かれているんですね。
いやいや、そんな標識に注意するほうが危ないでしょ? と。
描いてる人間の自己満ちゃうんけ、なんて。

そういや「交通安全週間」みたいな時期、平気でボランティアの人間が路肩に出て横断幕ふってたりしますが、あれ、危なくて仕方ないんですよね。
善意って、得てして主体者の自己満足になっちゃって、客観的に見て効果のあるのかないのかわかんない場合があります。

「シルバーシート」なんてなくても、自然とマナーが守られるにはどうすりゃいいかを考えるのが普通に思えたりします。
未来を担う子どもたちのためにも、正しい電車のあり方を見直すべきです。
そして、女性専用車両になぜ男が乗れないかも、同様に考えるべきです。
たとえば僕が女性専用車両に乗り込んでも白い目で見られないようになるには、どうすればいいのか。
真剣に考えてみたいものです。

乗ってみてぇーなぁー。

QRコード

ミラーさん

今日、打ち合わせで電車に乗っている時、ふと気がついたのですが、電車の車内広告ってQRコードがついていないんですよね。

どんなサイト広告も、URLで誘導しているんです。
あれ? こういうのって、QRコードで誘導したほうがスムーズだろうし、わざわざURLメモしてアクセスするやついるんだろうか、なんて疑問に思ったんです。

で、その後、はたと気がついたんですね。
あ、そうか、QRコードOKにしちゃったら、それをいいことにケータイのカメラかしゃかしゃ撮るやつが現れるから自主規制しているのかも、と。

いえ、事情はよくわからないので確証はないのですが、なんとなくそのような気がします。
電車内でカメラ許可したら色々問題おきそうですからね。
というかそもそも電車の中ってケータイ利用しちゃだめなんでしょうけど。

QRコードってすごい技術だと思いますが、カメラと一体になっているのが、こういう場合ネックになりそうですね。
バーコードリーダーみたいに、別機能として読み取りできる端子がついていたら、広告出す側も気にせず出稿できるんでしょうけど……。
そのうち、ケータイ側にそういった対応がなされたり、専用のチップやら読み取り機が登場したりして。

2007年03月25日

桜咲いたら

桜

先日、靖国神社の桜が2、3咲いたそうで、いよいよ春も近づいてきていますね。

桜、いいですね。
色合いや美しさもそうですが、やはりなんといってもその儚さにぐっときます。
ある季節、ある瞬間にしか出会えない美は私たちの心を溶かし、春霞がわずかな時間だけ魅せる、柔らかな幻へといざなってくれます。
そして、のこのこと花見へと出かけて、酒かっくらって、ゲロ吐くわけですね。
そのゲロが桜の養分となって、来年また美しい姿を見せてくれるわけです。
そういう意味で、桜はイコール、ゲロと言えるでしょう。
ビバ・ゲロ。

ふうむ。
4月になったら、ぶらぶらと桜探訪をしようかな……。
そういや館山のフラワーロードとかも行きたいんですよね(あっちは菜の花とかでしょうが)。
桜も含めて千葉あたりをバイクでぶらぶらしてこようかな。

2007年04月01日

パンチの届く距離にいて

よめ

近頃、どうも疲れ目でしょぼしょぼするせいか、家で本を読むのが億劫になり、もっぱらライトなエッセイだったり漫画だったりをだらーと読むばかりだったりします。
特に4コマ雑誌なんかはだらだらと、なんの気なしに読めるので重宝しています。

その4コマ雑誌ですが、最近、個人的にヒットしたのにむんこさんの作品があります。
4コマ雑誌ですので、あまり世間的に名の通った方ではないのかもしれませんが、キャラがたち、ストーリーは趣き深く、笑いの後に涙ありと、押さえるところ押さえた実力派の作家さんです。

代表作の「らいか・デイズ」も良いのですが、「だって愛してる」という4コマが特にぐっと来ますね。
売れない作家とそれを支える妻、という古典的な設定ですが、奥さんのキャラクターが実にいいんですね。
元気で強気で時に夫に手もあげる江戸っ子気質の奥さんですが、もろくて弱気なところもある、その不完全さがいかにも人間臭く、ストーリーに深みを与えてくれます。
夫婦でなんとか一人前というバランス感を、説明文ではなく物語の中で表現しているのが読んでいて心地よいんですね。

ところでその「だって愛してる」ですが、雑誌内の単行本発売の広告に気になる一文がありました。
単行本の書影に次のコピーが重ねられていたんですね。

「パンチの届く距離にいて」

スマートでシンプル、わかりやすいコピーですが、この作品を表すのにこれ以上ない名コピーではないでしょうか。
夫婦の理想的な距離感って、おそらくそれぞれの夫婦で異なってくるのでしょうが、こういった「照れ隠し」が見え隠れする距離感って、なんだかいいなあと思ってしまいます。
いえ、実際の夫婦間ってそんなに簡単で理想的なものではないのでしょうが……。

なんにしてもいい作品かと思われます。
気になる方はAmazonなどで探してみるのもよいかと思います。
ちょっと昭和どっぷりな世界観と価値観なので、平成世代には「?」と思う部分もあるかもしれませんが。

2007年04月08日

焼き鳥

焼き鳥

世界で何が一番うまいかと聞かれたら、僕は自信をもってこう答えます、「決められません」。

まあ、やっぱ、好きなもん多いですし、そんな断定なんて、ねぇ。
ですが、トップ候補というか、1位集団の中のものとしては、「焼き鳥」を押したいですね。

焼き鳥、うまいですね。
庭で飼われている鳥(俗に言う鶏)を焼いて食すだけの単純な料理ですが、不思議なくらい酒にあうつまみになります。
また雰囲気も味わいのひとつで、焼き鳥屋の前でたなびく煙や炭火の香り、店主との距離なども含めてひとつの味わい深い「焼き鳥的世界」をかもし出しています。

ところでジャパンでは、古くより焼き鳥にまつわる二つの相対する意見をめぐり、激しく論戦が繰り広げられてきました。
いわく「焼き鳥に合うのはタレか塩か」というやつです。

おそらく自称焼き鳥通の人は「素材の味がわかる」とかなんとかで「塩派」が多いかと思いますが、僕はハト派のタレ閥だったりします。
塩で食うのがうまいのもわかるのですが、塩ってただ塩振りゃあいいだけです、焼き鳥屋に楽をさせすぎです(焼き鳥屋さんに怒られそうですが)。
タレの場合、焦げないように火加減を調整しないといけませんし、店独自の熟成やら隠し味など、オリジナルの味わいも楽しめます。

また、肉には甘い味付けが合います。
鴨肉のソースにはよく甘めのお酒や果物を利用しますが、鶏もまた甘辛いタレが抜群に合うんですね。
さらに、同じ値段ならきっとタレの方がコスト高だと思います、店に損害を与えるためにもタレを選ぶべきなんですね。
タレ万歳、もっとタレ選びましょう。

ところで、なんでこれほどまでにタレを押している僕なのに、「ハト派」などとぬるい立場をとっているのでしょうか。
ええと、ぼんじりとか明らかに塩で食った方がうまいですよね。
あとね、手羽やささみ、アスパラ巻きとかも塩以外考えられまへん。
つくねなんかはタレが定番ですが、時に塩でくっといくと、肉本来の味がぎゅっと楽しめます。
やっぱケース・バイ・ケースということでんな。

2007年04月21日

ったく、選挙カーというやつは……

希望

まあ、選挙なんて行く余力のある人は、どん底の人ではないわな、ということで。

ところで明日は統一地方選の選挙日。
ということで土曜日は毎度おなじみ、選挙カーによるあほのような騒音騒音の大パレード。
人が気持ちよく寝ていたらばかばかばかばかやってきて、目覚まし時計の音さえかき消さんばかりの大声で、名前を連呼して去っていくのでおちおち寝ていられません。

あまつさえ「お休みのところお騒がせしております、○○です、○○です!」などと言う始末。
え? 人に迷惑かけていると自覚しているのに騒音垂れ流しているって……。
布団叩く騒音おばちゃんと大差ないじゃん。
これって、本気で票入れてもらおうとしているのかしら?
車のレンタル代に金使うくらいなら、広告代理店入れてコンサルしてもらったほうがいいのでは?

で、あまりにうるさいのでバイクでぶらぶらしていると、困ったことにどこにいっても選挙カーだらけ。
信号待ちでぼうとしていると、知らない間に後ろに付けていた選挙カーが突然、「声援ありがとうございます! ○○でーす!」と、全盛期のこん平並みのバカ声で叫ぶものだから、鼓膜が揺れ脳が痛み出しました。
ヘルメットをかぶっていたからまだよかったものの、ほんと、直であんな叫び声を聞かされたらどうにかなっちゃいます。

自分たちがどのくらいの音量で騒音垂れ流し、選挙カー近くの人間にどれほどの身体的被害を及ぼすか、そんなこともわからんやつが政治家になっていいのかしら?

んー、いつも不思議に思うのですがマニュフェストだの公約だのいっている中で、なんで一人も「選挙カーをなくす」と謳うのがいないのでしょうか。
僕の知る限りで、選挙カーに対して好意的に思っている人は一人もいないのですが……。
これだけ支持を集めやすい公約はないはずなんですけどね。
まあその公約を選挙カーで行えば、笑い話にしかなりませんが。

もちろん、政治家も阿呆ではないのでしょうから、おそらくは若干は自覚しているはずです、「俺たち、マジ、声、でかくね?」みたいに。
ただ、それでも公職選挙法やらなんやらで、限られたパブリシティの中で認知度を上げるしかない現状もあるわけで。
にしても、名前と党名叫ぶだけで、どういう信念でどういうビジョンがあるのか1mmも判らない選挙活動に意味はあるのでしょうか(多分こういうことって、今まで何千、何万の人が口にしていることなのでしょうが)。

そういや昔、「かりあげ君」で、選挙カーでうるさいやつから順に紙にメモして「票を入れない候補」にする、みたいなネタがありましたが、実際そういうのってありかもしれませんね。
一番迷惑じゃない人に一票、みたいな。
というか、メモでも取っておかないと、知らない人間の名前なんてすぐ忘れますし……。

こんな百害あって一利ない選挙カーなんてとっぱらって、いっそネット上で自分の主義主張やら今までの実績、これから区なり国なりをどういう風に変えていくか、短期・中長期のビジョンを判りやすく説明してくれればいいのになあ。
そうすれば一応目を通すのにねえ。
掲示板なりメールフォームでもつけてれば民の声も聞けるだろうに。
というか、投票所にパソコン置いて、そこでネット確認した後投票できるようにしてくれれば大変便利なのですが。
んー、まあ、現状ネット利用は法律的にあれこれバツがつくんでしょうね、たぶん。

しかしこれだけネット全盛の時代、未だネットでの選挙活動が大きく制限されているのってどうなんでしょう?
「ネットだと、まあ、あれだ、色々問題があり――、風説とか、過激な言論活動とか、あー、何が起きるか判らないので、平等な選挙にならなくなってしまうので――」
みたいなことなんでしょうが、それほど心配されることなんすかね?

東京都知事選では外山恒一氏のユーモア政見放送がやたらと流行って、youtubeなんかにもじゃんじゃんアップされ、おそらくかなり認知度も上がったはずですが、いざ選挙になればそこまで得票数はのびなかった記憶が。

選挙民って、つまりはいい年こいた大人なんだから、ネットの嘘・本当、虚言・妄言・有象無象、それなりに自己判断できるはずです。
それくらいのことができない人間って、結局ネットでなくても、選挙前に家にやってくるどこそこ党のシンパのおばさんにつかまって、小2時間くらい熱心な話を聞かされた挙句、ふらふらとその党に一票投じたりするんだろうから、どちらにせよ、なんじゃないでしょうか。

ネットって、もう生活の一部なんだから、そのメディアをうまく使いこなすってのも、重要なスキルに思えますけどね。
といっても、選挙カーの演説でさえ、ろくにオリジナリティを出せない方々に、効果的なメディアの利用法なんて思いつくのか大いに疑問です。

あのお決まりの、「いかにも選挙カーらしい演説」って誰でも真似できますもんね、
「○田、○田○夫、○田○夫です。地域の皆さんが安心して暮らせる社会を作ります。どうか皆さんのお力を貸してください(定期的に「ご声援ありがとうございます」を入れると、人気があるみたいに聞こえて効果大)」

いえいえ、「地域の皆さんが安心して暮らせない社会」を作る候補なんていてもらっちゃ困ります。
他に言うことないんですかね、ほんま。

2007年05月01日

対動画サイトのSEO対策

SEO対策

最近やったらめったら「SEO対策」という用語を聞きます。
ようはgoogleなどの検索エンジンの上位に検出されるよう、リンク対策したりtitleやmeta情報も含めサイト内で使用する用語をソフィスティケートさせまひょ、ということですね。

企業やビジネスでサイトを運営している方々はもちろん、僕などの個人サイトを開いている人間にとってもそこそこ気になることです。
人に「○○と入力して検索すればうちのサイト見れまっせ」と説明しておきながら、検索順位が2番以降だったりするとちょっと恥ずかしいものです。
そうならないためにも、ビジネスユースでなくてもそれなりに気にしておきたいものです。

ところで近年、youtubeなどの動画サイトがブレイクしていますが、この手のサイトを見ていていつも気になるのですが、どうもサムネイルがわかりづらいんですね。
youtubeだと、たとえば3分の動画ならちょうど真ん中、1分30秒の1コマが自動的にサムネイル化されるようですが、このコマがわけのわからん画面だったりすると困りものです。
大量に表示されるサムネイルの中から、お目当ての動画を探しづらく、「ああもういいや」なんてやけっぱちになって、目に付く関係のないサムネイル(グラマーな女性が挑発的なポーズをとっている的なサムネイル)をクリックしていたりします。
困ったもんですね。

で、ふと思ったのですが、これからの時代、企業にとってのSEO対策ってこういう部分にも目を向けるべきなのではないかなあ、と。
たとえばTVCM。
15秒か30秒かの真ん中に、ちょうどそのCMをあらわす最適なコマや訴求力のあるワンカットがくるよう調整するなんてどうでしょう。
「それを見たい」と思う人がイメージする「それ」を表す1枚がサムネイルになっていれば、より多くの人にアクセスされる動画コンテンツになるのではないでしょうか。
CMなんかの場合は、アップする側もおおよそ15秒・30秒と切りよくアップするでしょうから、より制作者側の意図が反映されやすいと思いますが……。

まあ、企業的には著作権うんぬんで、youtubeなどの動画サイトは「公認できない」のでしょうから、映像制作にあたって「動画サイト対策を」なんてことを懸案事項にあげるのは難しいのかもしれませんが……(宣伝効果は見込めるだろうから、大きな問題が発生しない限りは見てみぬふりのグレーゾーンくらい?)。

でももしそういう理由でネットから目をそむける(ないし法的な問題を重視し、現状サービスへの対応を意図的に後手後手にする)ようなことがあれば、ちと、無駄なんじゃないかなあ、なんて思えたりします。
ネットの場合、サービスが誕生した瞬間、すでに状況を覆すことはほぼ不可能なはずです。
例えば有名なところでいうと、法的な問題で2ちゃんねるみたいなサイトがつぶされても、匿名で罵詈雑言を言い合う掲示板って、他が作るだろうから根本的な解決になりません。

また「こういうことができる」というアイディア自体に対応しうる法整備が出来ても、突き詰めると個人であらゆるアイディアを実現し運営できるネットの世界では、あまり効果が期待できないかもしれません。
警察が自転車泥棒とイタズラ電話には対応できない的な、法整備云々以前の「物理的な許容力の限界」を、多くの方はすでに感づきちょりょちょろと悪さをされているはずです(googleイメージから引っ張ってこれるイメージ画像を、自サイト・ブログに貼り付けている人への取締りを、一体誰がし得るのでしょうか)。

ネットのサービスって案外、「出したもん勝ち」的なところがありますし……。
なら、問題含みでも現状行われるサービスに対してベターな対応って必要な気がします。
特にCMなんて著作権うんぬんより、youtubeでもなんでも、とにかく人の目に付くよう広まったほうがいいのだと思うのですが、これからのWeb動画時代、「対動画サイトのSEO対策」って、わりと重要な気がしますね。
SEO(Search Engine Optimization:検索エンジン最適化)って、なにも用語の選別やリンク対策だけじゃなく、新しい技術やムーブメントにあわせて、ベストを選ぶべきはずです。

といいますか、すでに用語検索って、googleでもyahooでもほぼ商品化されちゃって(用語広告だけの意味ではなく、「コンサルが指導して意図的に上位に上がっているビジネスサイト」という意も含め)、かなり窮屈になっています。

僕などはすでに検索サイトからサイトを見つけるより、ブックマークや信用しているニュースサイトとかからサイトを引っ張り出す機会が多くなっています。
用語検索の限界って、そろそろ見え隠れしているように思えます。
なにぶんスピードの速い世界、「おいおい、検索用語から引っ張る広告ってあまり効果が期待できないじゃん」なんてことになったら、まだ未開発と思しき動画サイトのSEO対策がバンバン出てくるのかも。
どんなサイトが、どんな形で勝っていくのか、ちょっと楽しみだったりします。

youtubeの駄目臭い検索結果を見ていると、できれば国産の動画サイトに勝ってほしいなあ、なんて思うのですが……、どうなんでしょう。
そういえば先日来、ちょっと興味があり「ニコニコ動画」を見ていたりするのですが、これはステキなシステムですね。
何がすごいって、アップする動画にしてもコメントにしても、「盛り上がってる感」をある程度「意図して」世間様に見せる事ができる点ですね。
能動的に価値判断しない(できない)と思しき脊髄反射的ユーザ層にはドンピシャではまるサービスかと(このコメント数でこういう流れだと「いいコンテンツなのでは」と思っちゃう、みたいな)。
これから広告と絡んでいくと、意外とすごいサービスになるのかも。
ちょっと無法地帯過ぎますが。

2007年05月07日

グルメ漫画と「めっちゃキャン」のこと

グルメ漫画

漫画の展開についてあれこれいうのは無粋なのかもしれませんが、少年誌などでみかけるグルメ漫画の展開って、ある種テンプレートみたいなところがあって面白いですよね。

グルメ漫画のパターンとして、次のような展開を良く見かけるような気がします。

(1)悪者登場
[悪事例]店をのっとる。近所にライバル店を作る。インチキ食材で客をだます。

(2)困る
[困る例]大体は主人公の同級生や知人、縁戚の店が困る。あとは町内の店やチェーン店にかなわない小さな店。
悪者に勝てない理由は「味」「コスト(向こうはなぜか大量資本で安く良い食材で提供している)」「派手さ(困っている店は堅実だけどありきたりなものを出している)」

(3)挑戦
[挑戦例]当然料理で対決。勝利条件は悪者の店を撤退。結果として客を取り戻すなど。
主人公の敗北条件は「自分たちの一員になれ」「お前の店ももらう」「一生下働きをさせてやる」「困っている店の奥さん(娘さん)をもらう」などなど、往々にして料理対決でどうこうしようというレベルのものではないことが多い。

(4)偵察
[偵察例]読者に対して、いかにライバルの料理が、ちょっとやそっとでは乗り越えられないものかを示すためにこの項目が入る。あるいは同じジャンルの他店に行き、その料理の難しさを知る。一種のグルメ漫画的レトリック。

(5)試行錯誤
[試行錯誤例]作る料理に対して、主人公の経験によって展開が分かれる。
→今まで作ったことのある料理の場合
一度ありきたりなものを作り困っている店の店主に食べさせるが「駄目だ、これだと○○さんとこの味には遠く及ばない……」と、助けてもらっている身でありながら、読者に「まだ一工夫足りない」ことを印象付けるためにわざわざ嫌なことを言う。
→今まで作ったことがない料理の場合
なぜか天才的なカンとテクニックで克服。
困っている店の店主の台詞例「ま、まさか。串うち3年、焼き一生といわれるうなぎを、たったの1週間で……」。
なお、こういった天才的テクニックのシーンが描かれると、対句的に「でも、いくら○○ちゃんの腕がよくても、絶対に克服できないものがあるんだ……、それは時間だ(→タレの熟成)」といった、腕だけでは解決できそうにない問題も登場するので油断ならない。

(6)勝負当日
[当日例]審査員は対決に関わり深い人が登場。たまに、あからさまに悪者サイドの審査員も登場するが、これは「ひいき目さえ押しのけるほど主人公の料理がうまかった」ことをあらわすためのドラマツルギーなので安心してよい。

(7)判定
[判定例]99%、先に試食を終えたほうが負ける(例外→鉄鍋ジャン!・他)。
80%の確立で主人公が後手で勝つ。また残り20%も「オレはこの料理を20年続けてきただけや。たった1週間でこれだけのものを作ったんや。あんさんの料理、すごかったで」となぜか悪者が理解をしめし、何事もなかったかのように翌週も連載は続く。

ちなみに主人公が勝つ場合、大概の場合1工夫で決まる(例:隠し味のパイナップル)。
しかもおおむね、『そのジャンルのプロならそれくらい知ってそうなものなんだけど……』と読者も怪訝に思うような工夫であっても、「く、くそう。こんなガキがこれだけの工夫を発見するとは……。負けたぜ」と大げさにおののいてくれるので工夫のしがいもあるというもの。

とまあ、こんな感じでしょうか。
あと、なぜか困っている店の奥さんや娘さんは、店主に比べると偉い美人が多かったりしますが、こりゃまあ、対決型グルメ漫画の多くが少年誌・青年誌なんだから仕方がないですね。
よく知りませんが、あるいは少女漫画やレディコミの場合は、すっごいイケメンでなよっとした面長なやつが、サディスティックな女料理人にいじめられるのを男パティシエが助け恋に落ちるボーイズラブ系グルメ漫画があるのかもしれませんね。

んー、しかしよくよく考えてみると、上でちょろりと書いたお決まりの展開例って、別にグルメ漫画に限ったことではなく、あらゆる少年漫画で見かける流れだったり。

敵が明確な悪意を持って攻撃を加えてきて、それを正攻法で打ち破り、場合によっては悪いほうも素直に負けを認めるさわやかな展開。
俗に「格闘とエロを出しときゃ人気が出る」といわれる漫画界においては、実に訴求力のある優れた展開なのかもしれません。

ただ、三度のメシよりメシが好きな僕としては、もっとこう、対決メインじゃなくて料理自体を楽しめたりする漫画のほうがいいかなあ、なんて思ったり。
後は料理業界とか、食材そのもののドラマとか、そういうのが見れるとうんちくとして楽しかったりします。
まあ、こんなものは個人の好みで選べばいいだけなんすけどね(僕は料理漫画ですと、「酒のほそ道」とか「クッキングパパ」なんかが肌にあったりします。あるいは人情もので「夏子の酒」「築地魚河岸三代目」的なのとか)。


ところで、最近ちょっと気に入ったグルメ漫画を1本。
「めっちゃキャン」という、月刊チャンピオンで連載している漫画ですが、先日コンビニで偶然単行本の2巻を立ち読みして、なんだかいいねえ、こういうの、と思えました。
一見するといわゆるパンツ漫画(よおく見てもパンツ漫画)なのですが、目を細め、邪念を捨て、念仏など唱えながらじっくり見ると、人情系グルメ漫画であることに気がつきます。

簡単な概要を言いますと――築地で仲卸業をしている店の娘(主人公・中学生・女)が魚と料理を通じて困っている人のために手助けをしてあげる、といった話です。
特にいいなあ、と思えたのは、てんぷら屋の相続の話。

伝統あるお店の店主が死に、その娘(たぶん20くらい?)がのれんを継ごうとしているのだが、遺言で後見役をまかされているてんぷら職人(店主の修行時代の兄弟子)の舌を満足させるものが作れず、のれんを継がせてもらえず失意の中にいる時、主人公が手助けを買ってでる。

主人公は兄弟子の店に偵察に出かけ、てんぷら職人の心意気とはなんたるかを理解し、娘にきつい言葉で遠まわしにそのことを教える。
娘は自分がてんぷら職人として何が足りないかに気がつき、兄弟子に、女性である弱さを捨て、熱い油にたじろがず立派なアナゴのてんぷらを作って差し出す。
ところがそれに手をつけない兄弟子、不安そうに「やはり食べてもらえないのか」とたずねる娘にたいし、涙を浮かべこう言った、
「…食わんでもわかるさ。『天翁』の名に恥じない、ウマいアナゴだ!」

こうして兄弟子の後押しを受け、改めて父親が残した店ののれんを継ぐことになった。

非常にストレート、単純明快、ですがそれがいいんですね。
得てして人情モノって、こう、どこか重いテーマだったり、結果誰かが不幸の影を背負ったまま、といったものが多いのですが(それはそれで重い話を楽しめるのですが)、この漫画の良いところは「後読感の良さ」ですね。
すっと入ってすっと出る、後味すっきり、こういったタイプの人情モノもまたいいものです。

ただ最近は掲載誌の性質のためか、どうもグルメ対決モノに傾きつつあるのがちょっと残念です。
できれば後味の良い人情グルメ漫画として、息長く続いてほしいものです。

ところで築地、都知事選がらみでよく知られるようになったみたいですが、ずいぶん前から豊洲に移転することが決まっており、現在の場所はあと数年で市場ではなくなります。
偶然、1年位前に築地に仕事で取材があり、仲卸をやっているとある女性にインタビューしたのですが、やっぱり結構大変みたいですね、移転。
場所的にはそう離れていないのですが、店を移動させるというのは遠い・近いの問題ではないですしね……。

個人的にも、今の築地の、いい意味で「雑」な感じが好きだったりしているので、ちょっと寂しく思えます。
豊洲のほうはフルトンマーケットをモデルに、一般客・観光客を広く受け入れられる体制にするとかしないとか。
んー、なんだかなあ……。

なんでもかんでもマスマーケット狙いにするのって、こう、しっくりこないんですね。
もちろんなんでもかんでも義理だ人情だというわけではないのですが、人の文化も感情も、多様性の中で深さを得るのだと思います。
ビジネスが常に「ビジネス」でない場所って、どこかに残ってほしいですね。

なんか関係ない話になっちゃった……。

2007年05月20日

電車と女の一人旅

旅

昔から色んなところをぶらぶらするのが好きで、鈍行から新幹線まで、電車にもよくお世話になりました。
ただ最近はもっぱらバイクでうろちょろするため、仕事で使ったり地下鉄に乗ったりする以外はすっかり疎遠になってしまいました。

電車旅、いいですよね。
先日テレビで、「定年退職した老夫婦が『青春18キップ』で旅をする」みたいな番組をやっていましたが、旅はいくつになっても青き春行く鈍行列車なのでしょう。
のんびりと風景を眺めながら、時々到着駅で駅弁を買ってつまみ、特急列車が行くのを待つとか。
ううむ、たまには適当な普通列車に乗り、だらだらと旅するのもいいかもしれません。
18キップを使い切るほどの時間を見つけるほうが大変そうですが……。

田舎のほうに行くと、結構土地の人の足として利用される単線などに出くわしますが、乗ると面白いですね。
農具を持った田植え帰りと思しき人や部活帰りの学生たちが、日常ではない旅行者の存在に気をとめることなく、風景を眺め、仲間と話している様は、単線の緩やかなゆれにも似た、土地ならではの柔らかな時の流れを感じさせます。

そういえば僕の地元では未だに無人駅があります。
無人なので駅の入り口から入る必要もなく、駅の対面にある家の軒先からひょろりと線路を越え、何事もなかったかのようにホームのベンチに座る人なんかもいます。
もちろん中にはちゃっかりキセルする悪い人もいるのでしょうが、未だに廃線にならずに列車が走っているのを見ると、皆さんきちんと運賃を払っているはずです。
それを必要とする人たちが、システムに不備があってもきちんと支えている、というのはいいものです。

東京の駅や電車は――と、なんでも都会と田舎を比較するのってナンセンスなんでしょうが――どこか合理的にすぎて、こう、時々窮屈に感じることがあります。
カードや自動改札なんかもそうですが、たとえばお手洗い。
東京の駅のお手洗いって、大体構内にあるようですが、なんでかなあとふと考えると、これっておそらく浮浪者が備品をもっていったり寝付いたりしないためなんでしょうね。
(中にはバリアフリーのトイレなどには鍵がかけられていたり。これも同様の理由らしいのですが、困っている人がすぐに利用できない設備って何の意味があるんでしょうね? 車椅子用のリフトとか)
なんだか電車や駅を構成するすべての要素に、いちいち何らかの理由があるように思えて、なんだかちょっと、と思うわけです。

*

さて、電車で旅をする旅人が一度は見てみたいと憧れるのは、なんといっても「女性の一人旅姿」でしょうね。
いや、なんというか、こう、たとえば大きなバッグをかかえたうら若い女性が、うつろな目で外を眺めていたら、色々想像しちゃいますよね。
蒸発し消えてしまった夫、その記憶を振り払おうと思い出の海へ赴き、夫の使っていた歯ブラシやネクタイを捨てようとしているんだなあ、おそらく、なんて。

ところで女性の一人旅って昔から「なんだかちょっと特殊な状況では」と思われがちですが、これ、なんででしょう?
きっと一人で旅をする女性が少ないからなんでしょうが、ではなんで女性は一人旅しないのでしょうか?
で、この前知り合いの女性に偶然「なんで一人旅しないんだろう?」と聴いたところ、「だって面白くないじゃん」とのことでした。
一人で旅してもおしゃべりもできないし、何をしていいかわからない、というのがその人の理由でした。

これは意外と目からうろこでした。
僕は皆さんと行く旅行も好きですが、一人で旅行するのは集団の旅行とはまったく別種類の楽しみなんじゃなかろうか、と思っていたんですね。
自分のペースで移動し、好きなときにメシを食って、好きなときに寝る。
見たい風景を見て、感じたい感慨を抱く、それが一人旅の醍醐味だろうなあ、と。

なので面白くないとは意外だなあ、と思うと同時に、あるいは正しいのかなあ、とも思えました。
旅行は日常の延長として、リラックスした状態でこそ楽しめるもの。
たとえば昔のヨーロッパの貴族なんかが避暑で旅行するときなど、馬車何台も引き連れて、いつも使っている家具やらなんやらも持っていっていたそうです。
これもあるいはリラックスして特殊な状況を楽しむためのものだったのかもしれません。
いつもの仲間と一緒だからこそ旅は楽しいというのも正論なんでしょうね。

んー、一人旅にある種のロマンチシズムを求めるというのも、まだまだ青い証拠かもしれませんね。
まだ27歳だし。
もうすぐ誕生日だけど。

2007年05月26日

加齢と家庭

加齢

先日、無事加齢しました。
もう28です。
めでたいですね。
別にめでたくないやい! 年なんてとりたくねえや、ぺっ!
こうなったらサバよんでやる! オレ様まだ3歳、バブーだぜ!
オレ様は28にも何を言ってるんだ、くそう……。

と、一人憤っている間にも月日はたっていくわけです、諸行無情ですね、出家するかな。
んー、ただ加齢といっても実はあまり実感がなかったりします。

28というのは18歳になるのとはちと違います。
そんなにダイナミズムを持った変化ではなく、世間的にも個々人的にも、「しかるべき通過の一つ」程度の印象しかないのではないでしょうか。
ただ30に近づいているというのは、結構、こう、思うところがあるわけです。

30、三十路、サーティ、サーティワンアイス。
アイス食いたいね、でも食べ過ぎるとメタボリッちゃいますよね、怖いですね、30超えるとね。
そうか、そういう意味だったのか、サーティワンアイス。
中性脂肪の友、動物性脂肪がたっぷり! 30超えたらサーティワン。

そんなわけで(?)大台を目の前にしているという意味では、色々感じ入ってしまいます。
30歳。
おそらく10年前、20年前の僕が想像した30前後の人生の形と、今あるそれには、(あらゆる人が持っているであろう)大きく深い溝が存在します。
ただ僕の場合――よく人には勘違いされますが――別段、人様に自慢できる立派で豪華な人生を望んでいたわけではないんですね。
ささやかな家庭でも持ち、子どもと歩く土手の夕焼け道、的な30歳だったんです。

黄昏時、川面の赤い照り返しがやわらかい時間の縁をなぞり、
初夏を過ぎ行く風の香が草木を揺らす土手の道。
幼きわが子の手をとり、川沿いを歩く自身の影を、遠く見つめる。
おそらく、柔き手の主はやがてこの影の長さに近づき、追い越していくのだろう。
そして私は、それを強く望んでいる。
過ぎ行く時間の影の長さは、暮れなずむ景色の先に、確かな未来を描いているように見えた。

――そんな30前後のひと時を思い浮かべていたんです。

まあ、結果としては28にもなってだらだらとヒトリミで過ごしているのですが。
大体東京に住んでいると、あるのはドブ川の土手くらいなもの。
とりあえずは土手の緑化運動でもするしかないですね。
いわゆるボランティア系市民団体です。
東京に緑がないのはすべて政治と若者とゲームのせいです、今すぐ改革しましょう。
困ったもんですな。

何が困ったかって、月曜朝イチに完成しておかないといけない仕事が山のように残っていることですね。
サイトの更新なんてしている場合ではございませんな。
時間が無いと部屋の模様替えなんかしたくなる、あれ的心理ってやつですね。
誰か助けておくれ!

2007年06月02日

自己責任とかそういうやつ

罠

最近は世知辛い世の中で、何かの悪巧みに引っかかると「だまされる方が悪い」「盗られる方にも責任がある」みたいないわれ方をされます。

いえもちろん、人間いろんなことを予測し様々なトラブルを未然に防ぐのは、動物として持っていなきゃいけない嗅覚・スキルなんでしょうが、何でもかんでもその一言で片付けられるとやるせないですね。

例えば最近、年金の問題で、受理していない入金記録が5000万件あるとかないとかってニュースが流れていますが、これなんて自己責任で片付けられるもんなんでしょうか?
何かの番組で、年金額を不当に減らされた人が役所におかしいと話をしにいったら、「ああ、記録無いから対応できないよ。払い損だね」と追い返されたそうな。

もちろん被害にあった側の意見なので、役所は役所で言い分はあるのでしょうが……。
年金ってフツーに考えると、お金出してるんだから、払ってる側は客のはず。
しかも半強制的に払わされているものです。
客商売で「え?うちのメシ食って腹壊したって? 証拠ないでしょ? おら知らねえよ。あ、でも明日からも毎日かならずうちで食事していけよ。じゃないとおたくの資産を凍結しちゃうよ」なんていっていたら、遅かれ早かれその店、つぶれちゃいます。

あ、だから社会保険庁ってつぶれかけなのか。
グリーンピアとか今、どうなんてんでしょうね、良く知らないけど。

あたりまえだけど、「なんでも自己責任だよね」という意見がはびこって得するのは、責任ある立場にいる人たちです。
自己責任、というとなんだかクールでかっこよく見えますが、責任が発生する側には良い言い訳として利用されるはずです。
そもそも政府や役所なんて、保険料だなんだ以前に税金で成り立ってんだから、なおさら「年金手帳がどうだ」「入金記録がどうだ」って不備だらけの仕組みを盾にとって言い訳しちゃだめですよね、ふうむ。

自分の弱さを認めるのは嫌なことですが、庶民は庶民なりに、自分たちの立場の危うさを知った上で訴えるべきことは訴えれる雰囲気であったほうがいいような気がします。
(なんでもかんでも「お上のすることは……」というのもあれですが)。

あと、自己責任とちょっとちがうかもしれませんが、女性が乱暴されるニュースなどが流れると、セットで耳にする言葉で、「そんな格好してるから襲われるんだ、しかも夜道を一人で歩くなんて。襲われる側にも問題ある」的な話って、なんか言い分としてオシャレじゃないなあ、といつも思っていたり。
原因は結果を生み出した人間が持っているもの、それを自己以外に見出すというのは、犯罪云々ぬきにしても一己の人間としてナサケナイですね。

なんというか、「なんだ、おめーは裸同然の格好してる女が歩いてたらなんでもかんでも襲っちゃうのかよ、ならマネキンとでもやってりゃいいじゃねえか」みたいな。
人間、鳥や魚じゃないんだから、脊髄反射に行動の因果を任せるなんてちんけなことをせず、自分の行動の原因くらい自分に見出しましょうよ、と思うわけなのです。

だからこのブログ読んでいる方で万が一、婦女暴行なんかしちゃった人はぜひこう言ってください、「あの女性は大変美しく、私の欲望は理性を超越したので襲いました」
うん、これだと潔い感じがしますね。
それ以前に婦女を暴行しちゃいけないですけど。

あ、そういえば一番上のだらしないコミックですが、こういうパターンも、よく悪人の言い訳に使われそうですね。
自分でわざと肩ぶつけておきながら、「おめえ、ぶつかってきたな」みたいな。
あと、美人局とかね。
ふうむ、そっか、社会保険庁ってそんなレベルってことかいな、なさけない。

2007年06月17日

魚介系Wスープのラーメン

ラーメン

僕は定期的に、「これを食べたくて仕方がない、これだけ食っていれば他はどーでもいいや」といった、“食い物さかり期”があったりします。
で、今現在、“ラーメン期”だったりします。

こうなるともう本能に身を任せるしかありません。
朝昼は難しいですが、夜は大体ラーメン。
仕事の帰りがけなどにあちこち出没し、夏だというのに熱いラーメンをかっくらっています。

ジャンルは特にこだわりなく、太麺から細めん、豚骨、鶏、みそ醤油とスープの味もなんでもよし、普通のラーメンからつけ麺、最近流行の焼きラーメンまで、とにかく「ラーメン的」なものであれば、好んで口にします。

ただそれでも好みがあって、今一番口に合うのは、いわゆるWスープ系のラーメンです。
特に魚粉たっぷりの六厘舎的つけ麺に目がなかったり。
うちの近所ですと錦糸町の「璃宮」という店の味が望んでいるものに近いので、ちょろちょろと足を運んでいます(というか六厘舎インスパイアのような気もしますが。麺も浅草開花楼だし……)。

が、いつも思うのですが、ラーメンってなんでこう、いつの間にか値のはる料理になっちゃったんですかね。
デフォルトのラーメンでも700円~800円、味玉のせたり何したりしていると、あっという間に1,000円オーバーです。

学生時代、部活帰りなどに行っていた近所のラーメン屋は、学割で1杯200円でした。
そこはまあ、ずば抜けて安かったのですが、他でも大体、500円しないのがラーメンの一般的な値段だった記憶があります。

もちろん10年前のモノの値段は参考になりませんが、たとえばうどんとかって、はなまるなど見ている限り、10年まえより市場価格が安くなっている感さえあります。
素材やなんやにこだわりをもって作るとどうしても高くなるのはわかりますが、こう、もうちょっと安くなんないもんなんすかね。
1,000円出せば、ラーメンじゃなくても他にもっとうまいものが食えそうな気もするのですが……。
(いや、それでも僕を含め通う人間がいるので問題ないのでしょうが)。

ところで最近、土日などの昼間、ラーメン食べたいけど外に出るのも面倒な時は、前日にスーパーで買っていた生麺を使って家で作っていたりします。
家だと安くすみますし、豚肉の塊なんかを圧力鍋で一気に炊けば短時間でチャーシューもできます、具を好きなだけ載せることもできます。

ただスーパーのものは、やはり選択肢が少なく、「Wスープ+魚粉のつけ麺」なんてものは売られていません。
なので、こういう時は近い味のものを選んで自分でアレンジするしかありません。
僕の場合は、豚骨醤油味のスープを買って、お湯で割って、その中にカツオの魚粉をたっぷり入れたりします。
(つけ麺用のスープも売られていたりしますが、市販のものって酸味が強すぎて好きじゃないんですよね)

で、後は茹で上がった麺を水でしめ、スープに具をいれ、食べるだけ。
このつけだれが、何の苦労もしていないのに、意外なほどうまかったりするんですね。
お店の味顔負けです。
いやあ、魚粉おそるべし。

ただ2点ほど注意が。
魚粉は「カツオ」がベターです、小魚の魚粉はちと苦味がきついです。
あと、火は通さないほうがいいですね、えぐみがでちゃうので、食べる直前に入れた方がおいしいようです。
「魚粉くらいでそんなに味かわるかいな」と思われる方はぜひ一度おためしあれ。

2007年06月25日

泥棒にあわない人生

泥棒

「嘘は泥棒のはじまり」とはよく聞く言葉で、人様を欺くのは盗人のやることだ、という先人たちの訓戒なんでしょう。
僕などは、サイト上で嘘っぱちばかり書いているので半ば泥棒と言えるかもしれません。

「職業・泥棒」
うん、イカしてますね。
これでローンやクレジットカードの審査通るか試してみたいですね。
通ったら通ったで危ない感じがしますが。

ところでアタクシ、今までの人生の中で、泥棒というものに遭遇したことがありません。
そりゃまあ、おそらく多くの人が被害にあったことないのでしょうが……。
それでも僕の場合、こと窃盗被害に対してはわりと運がいいほうに思えます。

たとえば今まで3度ばっかりサイフを落としたことがありますが、いずれも無事、帰ってきました。
(ひどいときは大学受験の前日、なれない土地でサイフ落としたことが。受験票も入れていたのでさすがに肝が冷えたのですが、拾ってくださった方が交番に持ってきて「実は自分もその大学のOBで、落とし主にがんばってくださいと言付けてください」といって立ち去ったそうな。無論警察に電話番号を聞いてお礼を言いましたが、謝礼は断られました。そんな立派な「先輩」に感謝ですね)。

あと自宅の鍵をかけ忘れて仕事にでたこともありますが、特に何事もおきたためしがありません。
大学時代など、一日も欠かさず家の窓の鍵を開けっ放しにしていましたが、これもまた特に問題ありませんでした。

ところが身近には結構、泥棒被害にあった経験をもっている人がいたりします。
とある親戚は、ほんの10分ばかり近所のスーパーに出かけている間に裏口から入られ現金が盗まれたとか。
学生時代、友人と街中を歩いていると、通りすがりに友人の後ろポケットからサイフがするりと盗まれたことも(そのときは直後に気がつき「おい、何してんだ」と叫んだら、泥棒さん、「あ、なんか変だな」とかいい財布を置いてすたこらどっかに消えちゃいました。唐突過ぎて、追ったりしなかったのが悔やまれます。というか何が変だったんだろう……?)。
つい先日も職場の方が空き巣に入られたとかで、意外と身近なところにそういった話が転がっています。

そう考えるとやっぱり運がいいほうなんでしょうが……。
ある意味「あ、こいつ、金なさそう」と判断されているのかも、と思うと複雑ですね。

んー、仮に狙って泥棒被害にあうにはどうすればいいんでしょうか?
スパンコールのラメラメスーツを着込んで、マセラティなんか乗り回していたら、泥棒さんも注目してくれるのでしょうか?
ふうむ、「金持ち」というとそのくらいの想像力しかないのが、そもそもの問題なのかも。

ところで私事ですが、近々引っ越そうかなあ、などと考え不動産屋をめぐっていたり。
で、盛んにセキュリティーのしっかりしたところを薦められているのですが……。
僕、どうも面倒なんすよね、マンションの入り口にロックがかかっているのとか、オートロックとか……。
あー、でも、痛い目にあう前にちゃんとセキュアーなとこに住むべきなんでしょうね。
どうしたもんかなあ。

2007年12月09日

ブログを使ったなんとかってもうあれかもね

ブログを使ったなんとかってもうあれかもね

まるで更新のない弊サイトでありますが、更新はムーバブルさんで行っており、意外と流行についていけてるんじゃないか、そうじゃないかと自らを慰めている(略して自慰)今日この頃です。

ところで先日、職場の方に勧められてブログを使ったビジネス関連の雑誌をあれこれ読ませていただきました。
「いやあ、色々あるもんですなあ、Web2.0ですなあ」なんて思っていたのですが、雑誌なんかにこれだけ記事が載っているってことは、そろそろブログだなんだというのは廃れていく一方なんじゃないか、なんてことも考えたり。

なにごともそうですが、流行は「流行」と認識されたあたりが分水嶺になりますが、とりわけネット界では「ビジネス」のにおいがするものからはウシオの如く人が引いていく傾向があるようで。
「ブログイベントを行い、こうこうすることで、これだけのマーケティング効果がありました」といった「種明かし」が流布したとき、コアなネットユーザーが色眼鏡をかけずにそれに「乗る」ことができるのか、ちと微妙ですね。

ちょっと違う例ですが、セカンドライフが大ゴケしているのは、スペックやらローカライズがうんぬんというのはもちろんですが、企業の誘致ありき、ビジネスモデルありきで進められ、その仕組みが広く知れ渡ったことだからじゃないでしょうか。
セカンドライフがニュースでわんさか転がり始めた頃、本屋にはすでに「セカンドライフの楽しみ方・もうけ方」みたいな本が並んでいたのですが、これって別に業界人でなくてもおかしいと思ったはずです。
おいおい、世にでる前段階から、なんでこれだけ書籍用意できるんだよ、あらかじめ金かけてたとしか思えないだろ、みたいな。
巨大な資本の「計画通り」に動き、金を落としてあげるのがキライ、という人は多いのでしょうが、ネット界ではその傾向が特に強いんじゃないかなあ、と個人的に思ったり。

だとすると、「ブログを使ってうんぬん」という「仕組み」の情報が、ビジネスサイドの手からぼろぼろとこぼれ落ち始めた今、なんだかブログというのがとたんにきな臭さを感じちゃう人も多くなってくるのでは、と。
僕などは、ブログだソーシャルネットだtwitterだって騒いでも、それは「仕組み」であって「ビジネスモデル」じゃないでしょ? と思っちゃうのですが、これだけブランドとして「ブログ」って用語が広がっちゃうと、流れによっては突然熱が冷めて、気がつけばブログなんてひとつも見かけなくなっちゃったね、なんてこともあるのかもと思うのですが、どうなんでしょう。
少なくともビジネスサイトが芸能人だイベントだと力強く推進しているWeb2.0的お祭り騒ぎって、そろそろ引き潮なんじゃないの、なんて。

まあ、どうなるかはわかりませんが……。
そういや僕個人はいわゆるブログサイトって検索でひっかかってくるようなやつ以外ほとんど見たためしがないのですが、熱心に「常連」になっている人っているんすかね?
サイト管理者であれば、各種アクセス解析やらGoogle Analyticsなんかで再訪問の期間とかしらべられたりしますが、ネット全体をあまねく調査したやつってみたことないですね。
なんかそういう資料とかあれば見てみたいなあ。

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